残虐!中国・核実験の被害実態―もう一つの被爆国・東トルキスタンの悲劇
2009/03/22/Sun
「新疆ウイグル自治区」の名の下で中国の殖民地支配を受ける東トルキスタンだが、無辜のウイグル人殺し政策の象徴が、同地における「予告なしの核実験」。九六年に停止するまで四十六回行われたが、住民には避難勧告も出されず、中にはほぼ地上実験に等しい「地下実験」も見られたそうだ。そのため、中共の極秘資料によるだけでも、実に七十九万人もが被爆して死亡。その数値は広島・長崎をはるかに上回っている。
中共は六四年十月以来、住民にも知らせることなく四
十六回の核実験を東トルキスタンで実施
そこでこの実態を明らかにする日本初のシンポジウムが三月十八日、「シルクロードにおける中国の核実験災害と日本の役割」と題し、都内の憲政記念館で開かれた。
この問題で調査を続けているウイグル人医師アニワル・トフティー氏(英国に亡命中)も登壇し、おぞましい核被害の実態を報告したので、ここで紹介したい。
アニワル・トフティー氏(右)。隣は通訳するシンポ主催者のイリハム・マハム
ティ・日本ウイグル協会会長
エピソード1
小四だった七三年、ウルムチ市内で、三日連続して砂が降るのを目撃した。当時学校の先生は「宇宙から降ってきた」と説明したが、高田純氏(東トルキスタンの核実験被害を調査する札幌医大教授)のデータを見て、あれが核実験によるものであることを確信した。
エピソード2
九三年、故郷のコムルに帰ったとき、「神様と出会った」と話す羊飼いと会った。その話によると、「三年前、羊飼いのところへ何人かの軍人がやって来て、“この地域では、あなただけに羊を飼うことを許す。あとで羊のすべてを買い取る”と約束した。その後、太陽より明るい光を見た。“これは神だ”と思い、祈りを捧げた。ふたたび軍人がやって来て病院に連れて行かれた。羊も飼ってもらった」と言う。その人の顔の右側には火傷の跡があった。そして二年後に亡くなったが、光が核実験によるものだったことは間違いない。
エピソード3
私が調査したところ、東トルキスタンで最も多い病気は白血病で、二番目がリンパ癌、三晩目が肺ガンだ。人口の少ない東トルキスタンと中国で人口最多の河南省での癌センターにおけるベッド数を比較すると、九四年の段階で前者は四百、後者は五百。ところが〇八年になると、前者は二千で後者は八百。前者は今では中国最大の癌センターになっているが、なぜここだけはこのように急増したのか。なお癌センターで治療を受けられるのは金持ちと国家機関の関係者だけだから、実際に患者がどれだけいるかはわからない。
エピソード4
九六年、山へ狩に行ったが、想像もできない大きさのねずみを見た。あの謎を解きたい。
エピソード5
東トルキスタン南部で天然痘が広まった。すべての道路は封鎖され、人々は外へ出られなくなった。当時は原因がわからなかったが、英国に亡命後、ある資料を見て明らかになった。中共はソ連に協力し、生物化学兵器の実験をしていたのだ。ウイグル人は実験台として使われていた。
エピソード6
パキスタンが作った核の実験を東トルキスタンで行ったとの情報もある。九八年、インドが核実験した一週間後にパキスタンも実験を成功させたが、本来なら成功するわけがない。実はこの国はその前に、東トルキスタンで二回も実験をしていたのだ。
エピソード7
九一年に香港メディアが報じたところによると、中共は各国の核廃棄物を受け取り、東トルキスタンの地下に埋めていると言う。それを取り除くことはもうできない。住民はこれから百年、千年も核の脅威の下で暮らすことになる。
アニワル・トフティー氏の話は以上のようなおぞましいものだった。
人道を踏み躙るこれほどの悲劇が今も続いているのだが、なぜか日本人は中国の核には無関心。いったい日本人の「核アレルギー」とは何なのだろうか。
いずれにせよ、今後ますます明らかになりつつある残虐極まりない中共の東トルキスタン支配の実態に、日本人も無視することはできなくなろう。
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運動を拡大したいので。
■以下は高田氏の著書。中国核実験に関する初めての科学的報告書だ。
中共は六四年十月以来、住民にも知らせることなく四
十六回の核実験を東トルキスタンで実施
そこでこの実態を明らかにする日本初のシンポジウムが三月十八日、「シルクロードにおける中国の核実験災害と日本の役割」と題し、都内の憲政記念館で開かれた。
この問題で調査を続けているウイグル人医師アニワル・トフティー氏(英国に亡命中)も登壇し、おぞましい核被害の実態を報告したので、ここで紹介したい。
アニワル・トフティー氏(右)。隣は通訳するシンポ主催者のイリハム・マハム
ティ・日本ウイグル協会会長
エピソード1
小四だった七三年、ウルムチ市内で、三日連続して砂が降るのを目撃した。当時学校の先生は「宇宙から降ってきた」と説明したが、高田純氏(東トルキスタンの核実験被害を調査する札幌医大教授)のデータを見て、あれが核実験によるものであることを確信した。
エピソード2
九三年、故郷のコムルに帰ったとき、「神様と出会った」と話す羊飼いと会った。その話によると、「三年前、羊飼いのところへ何人かの軍人がやって来て、“この地域では、あなただけに羊を飼うことを許す。あとで羊のすべてを買い取る”と約束した。その後、太陽より明るい光を見た。“これは神だ”と思い、祈りを捧げた。ふたたび軍人がやって来て病院に連れて行かれた。羊も飼ってもらった」と言う。その人の顔の右側には火傷の跡があった。そして二年後に亡くなったが、光が核実験によるものだったことは間違いない。
エピソード3
私が調査したところ、東トルキスタンで最も多い病気は白血病で、二番目がリンパ癌、三晩目が肺ガンだ。人口の少ない東トルキスタンと中国で人口最多の河南省での癌センターにおけるベッド数を比較すると、九四年の段階で前者は四百、後者は五百。ところが〇八年になると、前者は二千で後者は八百。前者は今では中国最大の癌センターになっているが、なぜここだけはこのように急増したのか。なお癌センターで治療を受けられるのは金持ちと国家機関の関係者だけだから、実際に患者がどれだけいるかはわからない。
エピソード4
九六年、山へ狩に行ったが、想像もできない大きさのねずみを見た。あの謎を解きたい。
エピソード5
東トルキスタン南部で天然痘が広まった。すべての道路は封鎖され、人々は外へ出られなくなった。当時は原因がわからなかったが、英国に亡命後、ある資料を見て明らかになった。中共はソ連に協力し、生物化学兵器の実験をしていたのだ。ウイグル人は実験台として使われていた。
エピソード6
パキスタンが作った核の実験を東トルキスタンで行ったとの情報もある。九八年、インドが核実験した一週間後にパキスタンも実験を成功させたが、本来なら成功するわけがない。実はこの国はその前に、東トルキスタンで二回も実験をしていたのだ。
エピソード7
九一年に香港メディアが報じたところによると、中共は各国の核廃棄物を受け取り、東トルキスタンの地下に埋めていると言う。それを取り除くことはもうできない。住民はこれから百年、千年も核の脅威の下で暮らすことになる。
アニワル・トフティー氏の話は以上のようなおぞましいものだった。
人道を踏み躙るこれほどの悲劇が今も続いているのだが、なぜか日本人は中国の核には無関心。いったい日本人の「核アレルギー」とは何なのだろうか。
いずれにせよ、今後ますます明らかになりつつある残虐極まりない中共の東トルキスタン支配の実態に、日本人も無視することはできなくなろう。
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中国の核実験─シルクロードで発生した地表核爆発災害─〔高田 純の放射線防護学入門〕 (2008/07/16) 高田 純 商品詳細を見る |
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