中国の危険な贈り物―パンダ
2007/04/18/Wed
中国の危険な贈り物―パンダ (平成17年5月5日)
永山英樹(台湾研究フォーラム会長)
中国の台湾工作室弁公室が、連戦訪中の記念としてパンダを台湾に贈呈
すると言っているため、台湾政界ではもらうべきかどうかの議論が巻き
起こっているが、それはもちろん断るべきだ。いつも台湾併呑の計画で
頭がいっぱいの中国の狙いは、もちろんやはりそれ以外にないからだ。
メディアは「融和ムード」を演出だと異口同音に指摘しているがもっと
もだ。だがムード演出という危険な下心は分かっていても、こんなに可
愛らしいものを一たびもらったなら、その「ムード」に簡単に乗ってし
まうのが人間だ。パンダの力を侮ってはいけない。
思えば30年位前、日本はそれにやられた。多くがパンダのランラン、
カンカンを見て、「日中友好ムード」に染まってしまった。当時小学生
だった私も、「こんなに可愛らしい動物がいたのか」と驚嘆するととも
に、「貧民、愚民の国」「ラーメンの国」という印象しかなかった中国
に、パンダのいる「やさしい国」という憧れを抱いたものだった。
その後上野動物園はパンダの飼育で相当苦心をした。それは飼い方の難
しさに加え、二頭が国民的アイドルだったから当然だが、それだけでは
ない。なにしろ「中国人民の思い」がこもった日中友好のシンボルでも
ある以上、もし死なせたとあらば国家の威信に関わるからだ。これが
「日中友好」の魔力である。中国は独裁国家である以上、「人民の思
い」など込められているわけがないのに、日本人はパンダの姿に、勝手
に中国人民の善意、誠意を投影して見ていたのだ。
後年気が付いたのだが、これが中国の「パンダ外交」の力だったのだろ
う。やがて中国が反日政策を強化しても、日本人は「パンダの国」の人
々の政治的悪意に気付かず、何かいつも日本が悪いのではないかという
気分になり、そのような心理状態がその後の日中不平等関係を作ってし
まったという、おおよそそのような歴史的側面があったことは否定でき
ないだろう。
それでは台湾に対しても「パンダ外交」が行われるのだろうか。答えは
ノーだ。中国は台湾を自国の一地方と見ているのだから、「外交」はや
らない。中国はパンダを、外国の日本に向けては「子々孫々の友好」の
象徴だと言っていたが、「同胞」である台湾には「団結・平和・友愛」
の象徴だと強調している。もし台湾がこれを受け取ったなら、国民は同
じ中華民族としての「団結」(=統一)というものに違和感を失ってし
まうだろう。少なくとも中国への警戒心は大幅に減退して行くはずだ。
どんなに中国が台湾を圧迫しても、子供たちは中国の善意を信じつづ
け、おそらく自国に非があるのではないかという錯覚に陥るかもしれな
い。これがパンダという「団結・平和・友愛」のシンボルがもたらす幻
覚症状だ。台北動物園も国民の期待を受けながら、この「団結」の象徴
を養うことに全力を挙げ、国民もそれを支持することになる。
「ムード」というものはこれほど恐ろしい。すでに馬英九台北市長は、
子供たちを引っ張り出し、その間に立って自らも子供のような無邪気な
表情を作り、「パンダ歓迎」などといって、テレビの前でムード作りを
やっていたが、私にはそれが「中国統一歓迎」としか聞こえず、吐き気
がした。
中国が現在、パンダを「外国」には贈呈しない方針であることは世界が
知っている。もし台湾がそんなものを受け取ったら、「やはり台湾は中
国の一部だ」との印象を各国に与えることになるだろう。これはべつに
大げさな見方ではない。こういうことこそが中国の一番期待するところ
なのだ。
陳水扁氏は「保護動物だから」という理由でパンダを拒否する考えらし
いが、それよりもっとはっきりと「中国は台湾を国内と見なしているか
ら、団結も友愛も不要である」と言った方がいい。世界が注視している
のだから、台湾と中国は別の国だとアピールする絶好のチャンスではな
いか。もちろん国民に対しても同じことが言える。
台湾側にはパンダの答礼としてタイワンザルを中国に贈る計画もすでに
あるとか。そんなものを贈っても、向こうの動物園では「中国統一を望
む台湾同胞からの贈り物」との偽りの看板がかけられるだけだ。しかも
中国人民からは「こんなものは大陸にもいる。偏狭の小島には大した動
物がいないな」と侮蔑にされるというおまけも付く。そういう人たちな
のだ。
このような中国人に「友愛」など期待する方がどうかしているし、「平
和」となればなおさらだ。ミサイルを向けておきながらパンダという
「国宝」を差し出してくる相手の真意をもっと真剣に考えた方がいい。
永山英樹(台湾研究フォーラム会長)
中国の台湾工作室弁公室が、連戦訪中の記念としてパンダを台湾に贈呈
すると言っているため、台湾政界ではもらうべきかどうかの議論が巻き
起こっているが、それはもちろん断るべきだ。いつも台湾併呑の計画で
頭がいっぱいの中国の狙いは、もちろんやはりそれ以外にないからだ。
メディアは「融和ムード」を演出だと異口同音に指摘しているがもっと
もだ。だがムード演出という危険な下心は分かっていても、こんなに可
愛らしいものを一たびもらったなら、その「ムード」に簡単に乗ってし
まうのが人間だ。パンダの力を侮ってはいけない。
思えば30年位前、日本はそれにやられた。多くがパンダのランラン、
カンカンを見て、「日中友好ムード」に染まってしまった。当時小学生
だった私も、「こんなに可愛らしい動物がいたのか」と驚嘆するととも
に、「貧民、愚民の国」「ラーメンの国」という印象しかなかった中国
に、パンダのいる「やさしい国」という憧れを抱いたものだった。
その後上野動物園はパンダの飼育で相当苦心をした。それは飼い方の難
しさに加え、二頭が国民的アイドルだったから当然だが、それだけでは
ない。なにしろ「中国人民の思い」がこもった日中友好のシンボルでも
ある以上、もし死なせたとあらば国家の威信に関わるからだ。これが
「日中友好」の魔力である。中国は独裁国家である以上、「人民の思
い」など込められているわけがないのに、日本人はパンダの姿に、勝手
に中国人民の善意、誠意を投影して見ていたのだ。
後年気が付いたのだが、これが中国の「パンダ外交」の力だったのだろ
う。やがて中国が反日政策を強化しても、日本人は「パンダの国」の人
々の政治的悪意に気付かず、何かいつも日本が悪いのではないかという
気分になり、そのような心理状態がその後の日中不平等関係を作ってし
まったという、おおよそそのような歴史的側面があったことは否定でき
ないだろう。
それでは台湾に対しても「パンダ外交」が行われるのだろうか。答えは
ノーだ。中国は台湾を自国の一地方と見ているのだから、「外交」はや
らない。中国はパンダを、外国の日本に向けては「子々孫々の友好」の
象徴だと言っていたが、「同胞」である台湾には「団結・平和・友愛」
の象徴だと強調している。もし台湾がこれを受け取ったなら、国民は同
じ中華民族としての「団結」(=統一)というものに違和感を失ってし
まうだろう。少なくとも中国への警戒心は大幅に減退して行くはずだ。
どんなに中国が台湾を圧迫しても、子供たちは中国の善意を信じつづ
け、おそらく自国に非があるのではないかという錯覚に陥るかもしれな
い。これがパンダという「団結・平和・友愛」のシンボルがもたらす幻
覚症状だ。台北動物園も国民の期待を受けながら、この「団結」の象徴
を養うことに全力を挙げ、国民もそれを支持することになる。
「ムード」というものはこれほど恐ろしい。すでに馬英九台北市長は、
子供たちを引っ張り出し、その間に立って自らも子供のような無邪気な
表情を作り、「パンダ歓迎」などといって、テレビの前でムード作りを
やっていたが、私にはそれが「中国統一歓迎」としか聞こえず、吐き気
がした。
中国が現在、パンダを「外国」には贈呈しない方針であることは世界が
知っている。もし台湾がそんなものを受け取ったら、「やはり台湾は中
国の一部だ」との印象を各国に与えることになるだろう。これはべつに
大げさな見方ではない。こういうことこそが中国の一番期待するところ
なのだ。
陳水扁氏は「保護動物だから」という理由でパンダを拒否する考えらし
いが、それよりもっとはっきりと「中国は台湾を国内と見なしているか
ら、団結も友愛も不要である」と言った方がいい。世界が注視している
のだから、台湾と中国は別の国だとアピールする絶好のチャンスではな
いか。もちろん国民に対しても同じことが言える。
台湾側にはパンダの答礼としてタイワンザルを中国に贈る計画もすでに
あるとか。そんなものを贈っても、向こうの動物園では「中国統一を望
む台湾同胞からの贈り物」との偽りの看板がかけられるだけだ。しかも
中国人民からは「こんなものは大陸にもいる。偏狭の小島には大した動
物がいないな」と侮蔑にされるというおまけも付く。そういう人たちな
のだ。
このような中国人に「友愛」など期待する方がどうかしているし、「平
和」となればなおさらだ。ミサイルを向けておきながらパンダという
「国宝」を差し出してくる相手の真意をもっと真剣に考えた方がいい。
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