岩波『広辞苑』に訂正要求!(2)―これでは中国公定の捏造史観と変わらない
2017/11/18/Sat
公立図書館から学校図書館に至るまで、岩波書店発行の『広辞苑』を備えていないところはないだろう。多くの職場、家庭もこれを使用しているはずだ。それほど社会に大きな影響力を有する国語辞典であり百科事典だからこそ、求められるのは記述内容の正確さだ。しかしそのその第六版を見ると、台湾に関する記述に深刻な誤記が見られる。なぜならそこには、中国の「一つの中国」の宣伝、つまり「台湾は中国領土の不可分の一部」と強調し、台湾侵略という国家目標を正当化するための虚構宣伝を投影させているからだ。来年一月に発行予定の第七版では、是非訂正してもらいたいところだ―――
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【事例2】「台湾」の項目における誤記(その1)
■中国プロパガンダの定型表現そのものではないのか
今回、問題にしたい『広辞苑』第六版の項目は「台湾」だ。そこには以下のようにある。
―――【台湾】(TAIWAN)中国福建省と台湾海峡をへだてて東方200キロメートルにある島。台湾本島・澎湖諸島、および他の付属島から成る。総面積三万六〇〇〇平方キロメートル。明末清初、鄭成功がオランダ植民者を追い出して中国領となったが、日清戦争の結果一八九五年日本の植民地となり、一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰し、四九年国民党政権がここに移った。六〇年代以降、経済発展が著しい。

これについて検証を加える前に、まず思い起こしたいのが「台湾は古来中国に属する」との中国の宣伝だ。たとえばあの国の政府は、次のような定型表現を繰り返している。
「台湾は古来中国に属している。中国人が最も早く台湾を開発したのだ。千七百年前の中国の歴史的文献、『臨海水土志』はそれについての記述がある。(中略)元朝(一二〇六~一三六八年)以来、中国歴代政府は台湾に行政機構を建立し、管轄権を行使して来た」(「なぜ台湾は中国不可分の一部なのか」、中国外交部)
これは台湾領有権の強調を目的とした虚構宣伝に過ぎない。
地理書である『臨海水土志』は台湾本島と推定される島の風土風俗に若干触れているが、中国による統治、開発に関する記載はない。また元は一二八一年、台湾本島の西の澎湖諸島に巡検司を設置したことはあるが、明は海禁政策で澎湖を放棄し、一三八四年に巡検司を廃止している。台湾本島で「中国人」がわずかながら住み始めたのは、海賊、漁民が立ち寄るようになった十六世紀中葉以降で、大量の移民が開拓に従事し始めるのは十七世紀のオランダ支配下においてなのだ。
ところが『広辞苑』第六版の「台湾」の項目は、こうした中共の公式史観に基づく「一つの中国」宣伝の定型表現を参考にして書かれたように思える。そしてもしそれが事実なら、史実に合わない誤表記が生じるのは当然ということになる。
■なぜ台湾史研究家の「常識」ではなく中国の「宣伝」に従う
「台湾」の項の下の部分に着目したい。
「明末清初、鄭成功がオランダ植民者を追い出して中国領となったが、日清戦争の結果一八九五年日本の植民地となり、一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰し、四九年国民党政権がここに移った」
これは次のような「一つの中国」を言い張るための中国の定型宣伝の内容に極めて符合してはいないか。
「十七世紀中葉、オランダ殖民者は台湾を侵略、占領したが、民族英雄、鄭成功が一六六二年、オランダ殖民者を駆逐し、台湾を収復した。一八九五年、中国清朝政府は日清戦争で敗れ、日本に迫られて締結した不平等な下関条約で台湾、澎湖を日本に割譲した。(中略)一九四五年、日本は降伏し、無条件でポツダム宣言とカイロ宣言を受諾し、台湾を中国に返還した。ここに至り、台湾は再び中国の版図に入った。一九四五年以降、周知の原因によって台湾と祖国大陸は暫時分裂状態に置かれている」(同)
そこで、その項目にいかなる誤記があるかを見てみよう。先ず問題にしたいのは以下の部分だ。
「明末清初、鄭成功がオランダ植民者を追い出して中国領となった」
十七世紀、明を滅ぼした清に抵抗するも戦いに利なく、反抗基地を求めてオランダが経営する台湾を侵略、占領したのが鄭成功だが、それによってこの島は「中国領となった」と断じるのは正確だろうか。
鄭成功に占領された台湾は、それによって中国のどの政権の統治下に組み込まれたというのか。時間的には「明末清初」だというから、きっと『広辞苑』は明の統治を受けたと言いたいのだろう。しかしこの時はすでに一九六二年。明が滅亡してからすでに十七年も経っているのだ。
たしかに当時、鄭成功は南明(明の王族らが各地で建てた亡命政権)の永暦帝を擁し、永暦年号を奉じてはいた。しかしこのころ南明勢力はすでに清の攻撃によって瓦解寸前。永暦帝などはビルマに逃亡中(翌年死去し南明は滅亡)。このように、もはや王朝の体をも為さない南明の一勢力に占領されたからと言って、それで台湾が「中国領となった」と言えるのか。しかも鄭成功は台湾占領の翌年に死去。その後を継いだ息子の鄭経は一六六四年、「東寧国」の建国を宣し、独立国家の経営に乗り出しているのである。貿易相手国の英国、スペインはこの国の存在を認め、中国(清)もそれに異を唱えなかった。
台湾が初めて「中国領となった」のは一六八三年。その東寧が滅び清の支配下に組み込まれた時だ。清朝が編纂した地理書『大清一統志』も「台湾は古来荒服(辺境)の地で中国に通じず、東番と呼ばれた。明の天啓年間にオランダ人に占領された」と書いている。
そして、そうした認識は台湾史研究者の間では常識だと思うのだが、ではなぜ『広辞苑』は鄭成功の台湾侵略を以って「中国領となった」と断じたかと言えば、それは中国の公定史観に従ったためだ。
■これでは中共機関紙人民日報の記事の書き写しに等しい
中華民族主義に基づく中国公定史観によく強調される歴史事件の一つに、「鄭成功の台湾収復」がある。それについてはが次のように解説している。
「一六六二年二月一日、我が国の明末清初の民族英雄、鄭成功は軍隊を率いてオランダの侵略者を駆逐し、台湾を収復した」(「歴史上の今日―1662年2月1日 鄭成功収復台湾」、人民日報(電子版)、二〇〇三年八月一日)
この「収復」とは「失地回復」の意。オランダの入殖以前に中国が台湾を統治した事実はないのだが、「台湾は古来中国に属する」との公定史観に立脚すれば、鄭成功はオランダから台湾を奪い返した英雄となるのである。
こうした中国の定型表現に、『広辞苑』の以下の記述は好く似ていないか。
「明末清初、鄭成功がオランダ植民者を追い出して中国領となった」
さすがに「収復=奪い返した」とまでは書かなかったが、しかし「中国領となった」とは書いてしまった。これは訂正を要する誤記述である。
■「一つの中国」宣伝の捏造史観に基づくが故の誤った記述
もう一度、『広辞苑』の「台湾」の項の下の部分を見てみよう。
「明末清初、鄭成功がオランダ植民者を追い出して中国領となったが、日清戦争の結果一八九五年日本の植民地となり、一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰し、四九年国民党政権がここに移った」
台湾の歴史を振り返ると、初めにオランダ、スペイン、そしてその後は鄭成功一族、さらには清、日本、中華民国という外来政権の支配を受け続けてきたことが分かるが、『広辞苑』の「台湾」の項は、「オランダ植民者」「日本の植民地となり」などと表現する一方で、鄭成功の殖民については「中国領となった」とし、中華民国の支配に関しては「中国に復帰し」と書くあたりも、「台湾は古来中国に属する」との公定史観の影響だろう。
この「オランダ植民者」と「日本植民統治」は、中国語ではそれぞれ「荷蘭殖民者」「日本殖民統治」となるが、それらもまた定型的な歴史用語だ。ちなみに中国語の「殖民地」は、日本語の「植民地」よりも不法な侵略というニュアンスが強烈である。あの国で規範的辞典と位置付けられる『新華字典』は、その語句を次のように説明する。
「元来は他国の侵略を受け、その国からの大量の移民があった国家や地域を指す。その後、帝国主義国家の侵略により、独立と主権を喪失し、政治、経済面で帝国主義の支配を受ける国家や地域を指すようになった」
もちろんこうした解釈は、中国だけでなく、日本の左翼の好むところでもあろう。有名な左翼出版社である岩波書店の『広辞苑』が、こうした中国式解釈に飛び附いても不思議ではない。
そして、もう一言付け加えるなら、もし『広辞苑』が中国の政治的捏造史観に拘泥しなければ、「台湾」の項では「鄭成功」ではなく、オランダ、清、日本などの統治に関し、もう一言加筆しているのではないか。鄭成功の台湾支配はわずか一年。鄭一族の支配も二十一年に過ぎないが、それに比べてさらに長期にわたり、台湾の歴史に大きな影響を与えてきたのがこれらの国々だからだ。

「台湾」の歴史を述べるなら、「鄭成功」以上に記すべき重要な
ものがあるのではないか
■『広辞苑』第6版の誤りを第7版(1月発行)で訂正するよう求めよう!
「台湾」の項目―「一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰」は誤り!
「日中共同声明」の項目―「日本は台湾が台湾が中華人民共和国に帰属することを実質的に認めた」は誤り!
岩波書店『広辞苑』編集部 03-5210-4178
岩波書店問合せ https://www.iwanami.co.jp/contact/
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岩波『広辞苑』に訂正要求!(1)―日本は台湾を中国領土と認めていない 17/11/16
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岩波『広辞苑』は中国の宣伝媒体になるなー懸念されるその影響力 08/02/20
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岩波『広辞苑』は十年来の誤情報散布の責任を取れ 08/02/26
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岩波『広辞苑』は媚中誤記を訂正したかー第七版刊行前に確認したい 17/11/11
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■中国プロパガンダの定型表現そのものではないのか
今回、問題にしたい『広辞苑』第六版の項目は「台湾」だ。そこには以下のようにある。
―――【台湾】(TAIWAN)中国福建省と台湾海峡をへだてて東方200キロメートルにある島。台湾本島・澎湖諸島、および他の付属島から成る。総面積三万六〇〇〇平方キロメートル。明末清初、鄭成功がオランダ植民者を追い出して中国領となったが、日清戦争の結果一八九五年日本の植民地となり、一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰し、四九年国民党政権がここに移った。六〇年代以降、経済発展が著しい。

これについて検証を加える前に、まず思い起こしたいのが「台湾は古来中国に属する」との中国の宣伝だ。たとえばあの国の政府は、次のような定型表現を繰り返している。
「台湾は古来中国に属している。中国人が最も早く台湾を開発したのだ。千七百年前の中国の歴史的文献、『臨海水土志』はそれについての記述がある。(中略)元朝(一二〇六~一三六八年)以来、中国歴代政府は台湾に行政機構を建立し、管轄権を行使して来た」(「なぜ台湾は中国不可分の一部なのか」、中国外交部)
これは台湾領有権の強調を目的とした虚構宣伝に過ぎない。
地理書である『臨海水土志』は台湾本島と推定される島の風土風俗に若干触れているが、中国による統治、開発に関する記載はない。また元は一二八一年、台湾本島の西の澎湖諸島に巡検司を設置したことはあるが、明は海禁政策で澎湖を放棄し、一三八四年に巡検司を廃止している。台湾本島で「中国人」がわずかながら住み始めたのは、海賊、漁民が立ち寄るようになった十六世紀中葉以降で、大量の移民が開拓に従事し始めるのは十七世紀のオランダ支配下においてなのだ。
ところが『広辞苑』第六版の「台湾」の項目は、こうした中共の公式史観に基づく「一つの中国」宣伝の定型表現を参考にして書かれたように思える。そしてもしそれが事実なら、史実に合わない誤表記が生じるのは当然ということになる。
■なぜ台湾史研究家の「常識」ではなく中国の「宣伝」に従う
「台湾」の項の下の部分に着目したい。
「明末清初、鄭成功がオランダ植民者を追い出して中国領となったが、日清戦争の結果一八九五年日本の植民地となり、一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰し、四九年国民党政権がここに移った」
これは次のような「一つの中国」を言い張るための中国の定型宣伝の内容に極めて符合してはいないか。
「十七世紀中葉、オランダ殖民者は台湾を侵略、占領したが、民族英雄、鄭成功が一六六二年、オランダ殖民者を駆逐し、台湾を収復した。一八九五年、中国清朝政府は日清戦争で敗れ、日本に迫られて締結した不平等な下関条約で台湾、澎湖を日本に割譲した。(中略)一九四五年、日本は降伏し、無条件でポツダム宣言とカイロ宣言を受諾し、台湾を中国に返還した。ここに至り、台湾は再び中国の版図に入った。一九四五年以降、周知の原因によって台湾と祖国大陸は暫時分裂状態に置かれている」(同)
そこで、その項目にいかなる誤記があるかを見てみよう。先ず問題にしたいのは以下の部分だ。
「明末清初、鄭成功がオランダ植民者を追い出して中国領となった」
十七世紀、明を滅ぼした清に抵抗するも戦いに利なく、反抗基地を求めてオランダが経営する台湾を侵略、占領したのが鄭成功だが、それによってこの島は「中国領となった」と断じるのは正確だろうか。
鄭成功に占領された台湾は、それによって中国のどの政権の統治下に組み込まれたというのか。時間的には「明末清初」だというから、きっと『広辞苑』は明の統治を受けたと言いたいのだろう。しかしこの時はすでに一九六二年。明が滅亡してからすでに十七年も経っているのだ。
たしかに当時、鄭成功は南明(明の王族らが各地で建てた亡命政権)の永暦帝を擁し、永暦年号を奉じてはいた。しかしこのころ南明勢力はすでに清の攻撃によって瓦解寸前。永暦帝などはビルマに逃亡中(翌年死去し南明は滅亡)。このように、もはや王朝の体をも為さない南明の一勢力に占領されたからと言って、それで台湾が「中国領となった」と言えるのか。しかも鄭成功は台湾占領の翌年に死去。その後を継いだ息子の鄭経は一六六四年、「東寧国」の建国を宣し、独立国家の経営に乗り出しているのである。貿易相手国の英国、スペインはこの国の存在を認め、中国(清)もそれに異を唱えなかった。
台湾が初めて「中国領となった」のは一六八三年。その東寧が滅び清の支配下に組み込まれた時だ。清朝が編纂した地理書『大清一統志』も「台湾は古来荒服(辺境)の地で中国に通じず、東番と呼ばれた。明の天啓年間にオランダ人に占領された」と書いている。
そして、そうした認識は台湾史研究者の間では常識だと思うのだが、ではなぜ『広辞苑』は鄭成功の台湾侵略を以って「中国領となった」と断じたかと言えば、それは中国の公定史観に従ったためだ。
■これでは中共機関紙人民日報の記事の書き写しに等しい
中華民族主義に基づく中国公定史観によく強調される歴史事件の一つに、「鄭成功の台湾収復」がある。それについてはが次のように解説している。
「一六六二年二月一日、我が国の明末清初の民族英雄、鄭成功は軍隊を率いてオランダの侵略者を駆逐し、台湾を収復した」(「歴史上の今日―1662年2月1日 鄭成功収復台湾」、人民日報(電子版)、二〇〇三年八月一日)
この「収復」とは「失地回復」の意。オランダの入殖以前に中国が台湾を統治した事実はないのだが、「台湾は古来中国に属する」との公定史観に立脚すれば、鄭成功はオランダから台湾を奪い返した英雄となるのである。
こうした中国の定型表現に、『広辞苑』の以下の記述は好く似ていないか。
「明末清初、鄭成功がオランダ植民者を追い出して中国領となった」
さすがに「収復=奪い返した」とまでは書かなかったが、しかし「中国領となった」とは書いてしまった。これは訂正を要する誤記述である。
■「一つの中国」宣伝の捏造史観に基づくが故の誤った記述
もう一度、『広辞苑』の「台湾」の項の下の部分を見てみよう。
「明末清初、鄭成功がオランダ植民者を追い出して中国領となったが、日清戦争の結果一八九五年日本の植民地となり、一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰し、四九年国民党政権がここに移った」
台湾の歴史を振り返ると、初めにオランダ、スペイン、そしてその後は鄭成功一族、さらには清、日本、中華民国という外来政権の支配を受け続けてきたことが分かるが、『広辞苑』の「台湾」の項は、「オランダ植民者」「日本の植民地となり」などと表現する一方で、鄭成功の殖民については「中国領となった」とし、中華民国の支配に関しては「中国に復帰し」と書くあたりも、「台湾は古来中国に属する」との公定史観の影響だろう。
この「オランダ植民者」と「日本植民統治」は、中国語ではそれぞれ「荷蘭殖民者」「日本殖民統治」となるが、それらもまた定型的な歴史用語だ。ちなみに中国語の「殖民地」は、日本語の「植民地」よりも不法な侵略というニュアンスが強烈である。あの国で規範的辞典と位置付けられる『新華字典』は、その語句を次のように説明する。
「元来は他国の侵略を受け、その国からの大量の移民があった国家や地域を指す。その後、帝国主義国家の侵略により、独立と主権を喪失し、政治、経済面で帝国主義の支配を受ける国家や地域を指すようになった」
もちろんこうした解釈は、中国だけでなく、日本の左翼の好むところでもあろう。有名な左翼出版社である岩波書店の『広辞苑』が、こうした中国式解釈に飛び附いても不思議ではない。
そして、もう一言付け加えるなら、もし『広辞苑』が中国の政治的捏造史観に拘泥しなければ、「台湾」の項では「鄭成功」ではなく、オランダ、清、日本などの統治に関し、もう一言加筆しているのではないか。鄭成功の台湾支配はわずか一年。鄭一族の支配も二十一年に過ぎないが、それに比べてさらに長期にわたり、台湾の歴史に大きな影響を与えてきたのがこれらの国々だからだ。

「台湾」の歴史を述べるなら、「鄭成功」以上に記すべき重要な
ものがあるのではないか
■『広辞苑』第6版の誤りを第7版(1月発行)で訂正するよう求めよう!
「台湾」の項目―「一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰」は誤り!
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