ある戦後台湾「親日」伝説―「明治天皇と日露大戦争」上映で観客は起立したか
2017/10/16/Mon
■明治天皇の映画シーンで起立したとの伝説
敗戦から十二年後の一九五七年。かつての日本栄光の戦争勝利の歴史を大きなスケールで描き上げ、空前のヒットを記録した愛国的映画が「明治天皇と日露大戦争」だ。
当時は国民の五人に一人が見たというから大変なものだが、実はこれは台湾でも封切られ、やはり空前のヒットとなったと語り継がれている。
その時の現地での熱狂的な反響については、当時を知る台湾人たちの口から日本にも伝わり、戦後も台湾人は日本に親しみを抱いてくれているのだとの印象を与えた。私もそのような「伝説」を二十年以上前にどこかで聞いたり読んだりして、驚かされたことがある。
たとえば「明治天皇のお出ましのシーンになると、観客は一斉に起立した」とか、「台湾人の日本への忠誠心に危機感を抱いた蒋介石は日本映画の上映を禁じた」といったことをだ。

しかしそれを事実と証明できる資料がなかった。そこでこの「伝説」の真偽を確認しようと、ある年輩の台湾人に聞いてみたところ、「起立したのは高砂族だ」と断じていた。たしかに高砂族(台湾原住民)のかつての日本への忠誠心は日本人以上のものだったとすら言われたこともあったが、しかし高砂族だけの話ではないのではないだろうか。
なぜならこのエピソードは山地、山麓など高砂族居住地域だけに限らないもっと普遍的な、一般的社会現象として語られているように思えるからだ。
■やはり事実だったらしい「親日伝説」
最近、久しぶりにこの「伝説」を思い出した私はちょっとネットで調べてみると、わずかながらも当時に関する記事が出てきた。十年ほど前にある台湾人は、自身のブログで次のように書いている。
―――「明治天皇と日露大戦争」(一九五七、新東宝)、「明治天皇と乃木将軍」(一九五九、新東宝)、「日本海大海戦」(一九六九、東宝)は台湾各地で上映された際、日本軍が勝つシーンになると場内では大歓声が上がった。そしてこれは聞いた話だが、かつて中部、南部の田舎の映画館では、明治天皇がスクリーンに現れると全員が起立して敬意を表したそうだ。(日本と)同様に外来政権である国民党の蒋介石政権がこれに驚いて怒ったというのもよくわかる。だから日台断交後は日本映画を禁止したのだ。
これを書いた人はあの映画の封切り後に生まれたそうだが、しかし日本に伝わるのと同じような話を聞かされているようである。
そしてもう一つ分かったのは、一九五八年十月、台湾を訪問したある日本の財界人も帰国後、新聞紙上でおおよそ次のように語っていたことだ。
―――天皇陛下が現れるシーンでは劇場内のおよそ三分の二の人が直ちに規律、脱帽し、敬意を表したそうだ。
これは台湾での封切り直後の証言だから、「伝説」の信憑性はますます高まったなどと勝手に考えた。
また台湾の映画評論家、黄仁氏も著書『日本電影在台湾』(秀威資訊、二〇〇八)で当時に言及していた。
―――台湾人民は長期間日本の軍国主義映画の思想を受け入れ、光復(※中華民国による台湾占領)後もそれを改めていない。人によっては映画館で映画を見ている時、スクリーンに「明治天皇」が現れるや起立敬礼をした。
――― 一部の老世代の本省人(※戦前から住む台湾人及びその子孫)の軍国主義意識は根深く、覚醒をしたがらず救いようがない。
ちなみにこの人物は戦後の中国からの移民だからか、台湾人の親日感情には不満があるようだが、しかし専門家が取り上げるのだから、やはり「親日伝説」は事実だったのかな、などと、やはり勝手に想像する次第だ。
■日本時代以来の条件反射だとする見方
そしてもう一つ、当時の状況をやや詳細、客観的に記録している文献がある。日本時代に生まれ育ち、今年春に九十四歳で亡くなった台湾の耳鼻咽喉科の権威、楊蓮生氏が日本語で著した『診療秘話五十年― 一台湾医の昭和史』(中央公論社、一九九四)がそれである。
―――(国府は)第一に台湾から日本色を払拭することに腐心した。日本映画や書籍の輸入に制限を設けた。封切映画は年に二、三本程度に抑えた。それ故、上映する日本映画は、どれも超満員であった。
―――「明治天皇」というのが掛った。初日から満員で映画館の前は観衆で溢れて、交通警察が整理に出ないと交通が渋滞して麻痺してしまった。大きな看板一杯に大礼服を召されて、軍刀の柄を摑んだカイゼル髭の御真影は、私達にはお馴染である。
―――抗日、反日感情の強かった当時の国府がよくも上映を許可したものだと誰もが訝った。しかしちゃんとした大義名分があったのである。当時国府当局の国策は「反共抗俄」で、俄はロシアのことである。(中略)「明治天皇」の映画は日本がロシアを打ち負かした明治三十七、八年の日露戦争を主題にしたもので、道理で許可になるはずであった。この映画は台北で一月以上も上映され、史上最高の収益を上げたことが記録されている。
―――この映画は、へんぽんとはためく日章旗に続いて「君が代」の国歌のオーケストラで幕を開ける。このとき満員の座席のあちこちで人が立ち上がった。そして誘われるようにその周囲にも立ち上がる人が増える気配が感じられたが、「君が代」の半ばで立ち上がった観衆の全部が又着席してしまった。台籍の人は日の丸の旗と日本国歌の吹奏で、条件反射によって起立したのに間違いなかった。
―――大正時代に生を享けた者、しかも終戦十年後の台湾人に条件反射が未だ残っていたことは驚きであった。しかし立ち上がった台湾籍の隣の大陸籍の人が、訳も分からずに立ち上がってお相伴する、笑えないナンセンスもあった。
日本時代の時と同様、日本の国歌を耳にして条件反射で立ち上がったというのが、かの「起立」伝説の真相なのだろうか。
もっとも日本時代に教育を受けた多くの台湾人が戦後日本の愛国映画に熱狂したというのと、彼らに「終戦十年後の台湾人に条件反射が未だ残っていた」というのとは根が同じであると私は思うのだ。
■台湾の「親日」に照らして思う戦後日本の体たらく
ちなみに著者の楊氏は、自身は大正生まれで「軍国主義の汚染」は受けたものの、戦後はデモクラシーの影響で「きれいに落ちてしまった」と語った上で、「汚染を受けたから国旗掲揚と国歌斉唱は軍国主義の復活との間に何の因果関係をも見いだせないと確信できる」と書いている。これは言うまでもなく国旗、国歌を蔑にする戦後日本の政治的風潮への批判だろう。
これは戦後日本への苦言は元日本人であるこの世代の台湾人がしばしば呈して来たものとも言える。
そして楊氏はこの書の中で、もう一つの苦言を日本に呈している。
―――かつて宗主国であった誼でも、「台湾は中国の一省である」と中国のお先棒を担ぐような発言だけは控えていただきたい。ましてや日本の版図から離脱した後の台湾の法的地位に関しても、日本には十二分の発言権があるはずである。どうか今でも「靖国神社」に眠れる台湾籍日本兵及び軍族三万余柱の英霊に思いを馳せてほしい。又残留孤児に送った温かい思いやりと同じように、台湾二千余万の国民をみすみす見放さないでほしい。
日本は敗戦後に台湾を手放した後、この島にすっかり関心を示さなくなってしまっただけでなく、中国の顔色をうかがって、あの国の台湾侵略の野心に反対しないばかりか、それに迎合しようとすらして来たのである。楊氏はそうしたかつての「宗主国」に失望していたのだろう。
私もまた、台湾の人々が映画館で起立したという「親日伝説」を思い起こすたびに、このような台湾の人々を裏切り続ける日本でいいのかと思うのである。
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敗戦から十二年後の一九五七年。かつての日本栄光の戦争勝利の歴史を大きなスケールで描き上げ、空前のヒットを記録した愛国的映画が「明治天皇と日露大戦争」だ。
当時は国民の五人に一人が見たというから大変なものだが、実はこれは台湾でも封切られ、やはり空前のヒットとなったと語り継がれている。
その時の現地での熱狂的な反響については、当時を知る台湾人たちの口から日本にも伝わり、戦後も台湾人は日本に親しみを抱いてくれているのだとの印象を与えた。私もそのような「伝説」を二十年以上前にどこかで聞いたり読んだりして、驚かされたことがある。
たとえば「明治天皇のお出ましのシーンになると、観客は一斉に起立した」とか、「台湾人の日本への忠誠心に危機感を抱いた蒋介石は日本映画の上映を禁じた」といったことをだ。


しかしそれを事実と証明できる資料がなかった。そこでこの「伝説」の真偽を確認しようと、ある年輩の台湾人に聞いてみたところ、「起立したのは高砂族だ」と断じていた。たしかに高砂族(台湾原住民)のかつての日本への忠誠心は日本人以上のものだったとすら言われたこともあったが、しかし高砂族だけの話ではないのではないだろうか。
なぜならこのエピソードは山地、山麓など高砂族居住地域だけに限らないもっと普遍的な、一般的社会現象として語られているように思えるからだ。
■やはり事実だったらしい「親日伝説」
最近、久しぶりにこの「伝説」を思い出した私はちょっとネットで調べてみると、わずかながらも当時に関する記事が出てきた。十年ほど前にある台湾人は、自身のブログで次のように書いている。
―――「明治天皇と日露大戦争」(一九五七、新東宝)、「明治天皇と乃木将軍」(一九五九、新東宝)、「日本海大海戦」(一九六九、東宝)は台湾各地で上映された際、日本軍が勝つシーンになると場内では大歓声が上がった。そしてこれは聞いた話だが、かつて中部、南部の田舎の映画館では、明治天皇がスクリーンに現れると全員が起立して敬意を表したそうだ。(日本と)同様に外来政権である国民党の蒋介石政権がこれに驚いて怒ったというのもよくわかる。だから日台断交後は日本映画を禁止したのだ。
これを書いた人はあの映画の封切り後に生まれたそうだが、しかし日本に伝わるのと同じような話を聞かされているようである。
そしてもう一つ分かったのは、一九五八年十月、台湾を訪問したある日本の財界人も帰国後、新聞紙上でおおよそ次のように語っていたことだ。
―――天皇陛下が現れるシーンでは劇場内のおよそ三分の二の人が直ちに規律、脱帽し、敬意を表したそうだ。
これは台湾での封切り直後の証言だから、「伝説」の信憑性はますます高まったなどと勝手に考えた。
また台湾の映画評論家、黄仁氏も著書『日本電影在台湾』(秀威資訊、二〇〇八)で当時に言及していた。
―――台湾人民は長期間日本の軍国主義映画の思想を受け入れ、光復(※中華民国による台湾占領)後もそれを改めていない。人によっては映画館で映画を見ている時、スクリーンに「明治天皇」が現れるや起立敬礼をした。
――― 一部の老世代の本省人(※戦前から住む台湾人及びその子孫)の軍国主義意識は根深く、覚醒をしたがらず救いようがない。
ちなみにこの人物は戦後の中国からの移民だからか、台湾人の親日感情には不満があるようだが、しかし専門家が取り上げるのだから、やはり「親日伝説」は事実だったのかな、などと、やはり勝手に想像する次第だ。
■日本時代以来の条件反射だとする見方
そしてもう一つ、当時の状況をやや詳細、客観的に記録している文献がある。日本時代に生まれ育ち、今年春に九十四歳で亡くなった台湾の耳鼻咽喉科の権威、楊蓮生氏が日本語で著した『診療秘話五十年― 一台湾医の昭和史』(中央公論社、一九九四)がそれである。
―――(国府は)第一に台湾から日本色を払拭することに腐心した。日本映画や書籍の輸入に制限を設けた。封切映画は年に二、三本程度に抑えた。それ故、上映する日本映画は、どれも超満員であった。
―――「明治天皇」というのが掛った。初日から満員で映画館の前は観衆で溢れて、交通警察が整理に出ないと交通が渋滞して麻痺してしまった。大きな看板一杯に大礼服を召されて、軍刀の柄を摑んだカイゼル髭の御真影は、私達にはお馴染である。
―――抗日、反日感情の強かった当時の国府がよくも上映を許可したものだと誰もが訝った。しかしちゃんとした大義名分があったのである。当時国府当局の国策は「反共抗俄」で、俄はロシアのことである。(中略)「明治天皇」の映画は日本がロシアを打ち負かした明治三十七、八年の日露戦争を主題にしたもので、道理で許可になるはずであった。この映画は台北で一月以上も上映され、史上最高の収益を上げたことが記録されている。
―――この映画は、へんぽんとはためく日章旗に続いて「君が代」の国歌のオーケストラで幕を開ける。このとき満員の座席のあちこちで人が立ち上がった。そして誘われるようにその周囲にも立ち上がる人が増える気配が感じられたが、「君が代」の半ばで立ち上がった観衆の全部が又着席してしまった。台籍の人は日の丸の旗と日本国歌の吹奏で、条件反射によって起立したのに間違いなかった。
―――大正時代に生を享けた者、しかも終戦十年後の台湾人に条件反射が未だ残っていたことは驚きであった。しかし立ち上がった台湾籍の隣の大陸籍の人が、訳も分からずに立ち上がってお相伴する、笑えないナンセンスもあった。
日本時代の時と同様、日本の国歌を耳にして条件反射で立ち上がったというのが、かの「起立」伝説の真相なのだろうか。
もっとも日本時代に教育を受けた多くの台湾人が戦後日本の愛国映画に熱狂したというのと、彼らに「終戦十年後の台湾人に条件反射が未だ残っていた」というのとは根が同じであると私は思うのだ。
■台湾の「親日」に照らして思う戦後日本の体たらく
ちなみに著者の楊氏は、自身は大正生まれで「軍国主義の汚染」は受けたものの、戦後はデモクラシーの影響で「きれいに落ちてしまった」と語った上で、「汚染を受けたから国旗掲揚と国歌斉唱は軍国主義の復活との間に何の因果関係をも見いだせないと確信できる」と書いている。これは言うまでもなく国旗、国歌を蔑にする戦後日本の政治的風潮への批判だろう。
これは戦後日本への苦言は元日本人であるこの世代の台湾人がしばしば呈して来たものとも言える。
そして楊氏はこの書の中で、もう一つの苦言を日本に呈している。
―――かつて宗主国であった誼でも、「台湾は中国の一省である」と中国のお先棒を担ぐような発言だけは控えていただきたい。ましてや日本の版図から離脱した後の台湾の法的地位に関しても、日本には十二分の発言権があるはずである。どうか今でも「靖国神社」に眠れる台湾籍日本兵及び軍族三万余柱の英霊に思いを馳せてほしい。又残留孤児に送った温かい思いやりと同じように、台湾二千余万の国民をみすみす見放さないでほしい。
日本は敗戦後に台湾を手放した後、この島にすっかり関心を示さなくなってしまっただけでなく、中国の顔色をうかがって、あの国の台湾侵略の野心に反対しないばかりか、それに迎合しようとすらして来たのである。楊氏はそうしたかつての「宗主国」に失望していたのだろう。
私もまた、台湾の人々が映画館で起立したという「親日伝説」を思い起こすたびに、このような台湾の人々を裏切り続ける日本でいいのかと思うのである。
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