中国「南沙」の主張に根拠なし!戦後日本は「新南群島」を割譲していない
2015/12/13/Sun
■馬英九総統の南支那海訪問は見送り
台湾の馬英九総統が港湾施設竣工式典に出席するため、十二月十二日に同国支配下のスプラトリー(南沙)諸島なる太平島へ渡航することが取り沙汰されていた。
戦後台湾に亡命した中華民国は、中華人民共和国と同様、同諸島やパラセル(西沙)諸島など南支那海の島々を南海諸島と総称し、それが「中国領」だと主張している。

11月に習近平と台中首脳会談を行った馬
英九。スプラトリー諸島の視察が取りざた
され、米国を反撥させたが・・・
そして一方の中華人民共和国は馬英九政権との国共合作で、東支那海(尖閣諸島)を巡っては日本に対抗し、南支那海を巡っては米国や周辺諸国に対抗し、そしてそのように「中華民族の血」の絆を強めながら、「中国統一」へと向かいたがっている。
馬総統は今回の渡航を以って、そうした中華人民共和国に対する提携のメッセージとし、あの国の歓心を買おうとしていたのではないか。十一月に習近平主席との首脳会談も実現したばかりでもあり、そうした懸念の声も聞かれた。
だが結局、馬総統は今回の太平島行きを見送った。
緊張の高まりを警戒した米国から圧力を受けたと見られている。台湾紙、聯合晩報はすでに三日の段階で、「米国は何度も我が国の上層部に対し、南支那海で妄動するなと要求している」と報じていた。
■日本が南沙・西沙を割譲した事実はない
ところで、なぜ「十二月十二日」での渡航が予想されたのか。それは中華民国海軍が太平島を接収したのが一九四六年のその日だったからだとか。そこでここでは中華民国による太平島領有の経緯を見てみたい。
台湾紙、聯合報が十三日、同国内政部(内務省)の資料を基に作成、掲載した年表によると、「一九四六年、政府は軍艦太平を派遣し、太平島を接収」「一九五二年、中華民国と日本は日華平和条約を締結し、日本は南海諸島の主権を放棄」とある。
これを読む限り、「南海諸島」は日本から割譲されたとの印象を受けるが、しかしそのような事実はないのである。

中華民国、中華人民共和国のスプラトリー領有の主張は正しいか。要点は日本の「新南群島」
が中華民国に割譲されたか否かだ
■中華民国内政部の完全なる作り話
たしかに中華民国は一九四五年の日本敗戦後、カイロ宣言に「日本は中国から盗取した領土を返還すべし」と謳われているのを盾に、パラセル諸島とスプラトリー諸島を広東省に編入することを決め、翌四六年に太平島を含む両諸島の接収に乗り出したが、しかしただそれだけで領有権を確保できるはずがない。なぜなら少なくともスプラトリー諸島は当時まだ、新南群島と呼ばれる日本領土だった(太平島は長島と呼んだ)。
そこで内政部は、領有の主張を正当化するため、その法的根拠を案出する必要に迫られたようだ。そして上記の通り、「日華平和条約」を持ってその根拠としたいようだが、これはまったくの作り話である。
■日華平和条約で島を放棄したのではない

中華民国内政部の資料を基に聯合報が作製した
年表。法的根拠なき自国の主張に「根拠」を与え
ようと事実を改竄
なぜなら日本は日華平和条約に基づいて「南海諸島」を放棄したのではないからだ。
日本は確かに「南海諸島」を放棄しているが、しかしそれは一九五二年四月に発効したサンフランシスコ講和条約の第二条(f)によってである。その条文は以下の通り。
「日本国は、新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」
もっとも「西沙群島」とはあるが、それは条約起草者の勘違いだろう。日本はフランスの支配下にあった同群島を占領はしたが、しかし領有まではしていない。
それはともかく、これで日本はスプラトリー諸島を手放し、その新たな帰属先は決められなかった。
そしていよいよ同年八月、問題の日華平和条約が発効した。その第二条には次のようにある。
■中華民国も中国領土ではないと認めていた
「日本国は、千九百五十一年九月八日にアメリカ合衆国のサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第二条に基き、台湾及び澎湖諸島並びに新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したことが承認される」
ここに書かれている通りだ。この条約によって日本のスプラトリー諸島の放棄が行われたのではなく、すでに放棄されていることが承認されたのである。当たり前だろう。日本は放棄済みの領土をあらためて放棄するなど物理的に不可能だ。
そして言いかえるなら中華民国は、同諸島は帰属先が未定であり、もちろん中華民国の領土ではないことの現実を、実際にはこのように受け入れているのである。
■混乱をもたらし続ける国共両党の領土欲
以上のように、少なくともスプラトリー諸島は中華民国の領土であるとは言えない。
そしてもちろん中華人民共和国の領土であるとも言うことができない。なぜなら同国の領有の主張の法的根拠は、一九四九年に中華民国は滅亡し、その全領土を継承したというものだが、同諸島はそもそも中華民国領には含まれていないのだから。
中華民国、そして中華人民共和国という二つの「中国」。それらの領土拡張欲や歴史捏造や法律歪曲が東支那海、南支那海での領土争いを惹き起しているのだ。
そしてもちろん台湾にしても。台湾も新南群島とまったく同じケース。日本の放棄後は帰属先未定だが、中華民国がそれを占領し、そして中華人民共和国が「統一」を呼び掛け、そのためこの島はいつまでも世界最大級の火薬庫であり続ける訳だ。
【過去の関連記事】
「南沙」は台湾領土か(上)―中国が台湾とは争わない理由 15/11/3
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-2701.html
「南沙」は台湾領土か(下)―南支那海問題で期待すべき台湾の政権交代 15/12/01
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-2702.html
*******************************************
ブログランキング参加中
よろしければクリックをお願いします。 運動を拡大したいので。
↓ ↓

モバイルはこちら
↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php
link.php
台湾の馬英九総統が港湾施設竣工式典に出席するため、十二月十二日に同国支配下のスプラトリー(南沙)諸島なる太平島へ渡航することが取り沙汰されていた。
戦後台湾に亡命した中華民国は、中華人民共和国と同様、同諸島やパラセル(西沙)諸島など南支那海の島々を南海諸島と総称し、それが「中国領」だと主張している。

11月に習近平と台中首脳会談を行った馬
英九。スプラトリー諸島の視察が取りざた
され、米国を反撥させたが・・・
そして一方の中華人民共和国は馬英九政権との国共合作で、東支那海(尖閣諸島)を巡っては日本に対抗し、南支那海を巡っては米国や周辺諸国に対抗し、そしてそのように「中華民族の血」の絆を強めながら、「中国統一」へと向かいたがっている。
馬総統は今回の渡航を以って、そうした中華人民共和国に対する提携のメッセージとし、あの国の歓心を買おうとしていたのではないか。十一月に習近平主席との首脳会談も実現したばかりでもあり、そうした懸念の声も聞かれた。
だが結局、馬総統は今回の太平島行きを見送った。
緊張の高まりを警戒した米国から圧力を受けたと見られている。台湾紙、聯合晩報はすでに三日の段階で、「米国は何度も我が国の上層部に対し、南支那海で妄動するなと要求している」と報じていた。
■日本が南沙・西沙を割譲した事実はない
ところで、なぜ「十二月十二日」での渡航が予想されたのか。それは中華民国海軍が太平島を接収したのが一九四六年のその日だったからだとか。そこでここでは中華民国による太平島領有の経緯を見てみたい。
台湾紙、聯合報が十三日、同国内政部(内務省)の資料を基に作成、掲載した年表によると、「一九四六年、政府は軍艦太平を派遣し、太平島を接収」「一九五二年、中華民国と日本は日華平和条約を締結し、日本は南海諸島の主権を放棄」とある。
これを読む限り、「南海諸島」は日本から割譲されたとの印象を受けるが、しかしそのような事実はないのである。

中華民国、中華人民共和国のスプラトリー領有の主張は正しいか。要点は日本の「新南群島」
が中華民国に割譲されたか否かだ
■中華民国内政部の完全なる作り話
たしかに中華民国は一九四五年の日本敗戦後、カイロ宣言に「日本は中国から盗取した領土を返還すべし」と謳われているのを盾に、パラセル諸島とスプラトリー諸島を広東省に編入することを決め、翌四六年に太平島を含む両諸島の接収に乗り出したが、しかしただそれだけで領有権を確保できるはずがない。なぜなら少なくともスプラトリー諸島は当時まだ、新南群島と呼ばれる日本領土だった(太平島は長島と呼んだ)。
そこで内政部は、領有の主張を正当化するため、その法的根拠を案出する必要に迫られたようだ。そして上記の通り、「日華平和条約」を持ってその根拠としたいようだが、これはまったくの作り話である。
■日華平和条約で島を放棄したのではない

中華民国内政部の資料を基に聯合報が作製した
年表。法的根拠なき自国の主張に「根拠」を与え
ようと事実を改竄
なぜなら日本は日華平和条約に基づいて「南海諸島」を放棄したのではないからだ。
日本は確かに「南海諸島」を放棄しているが、しかしそれは一九五二年四月に発効したサンフランシスコ講和条約の第二条(f)によってである。その条文は以下の通り。
「日本国は、新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」
もっとも「西沙群島」とはあるが、それは条約起草者の勘違いだろう。日本はフランスの支配下にあった同群島を占領はしたが、しかし領有まではしていない。
それはともかく、これで日本はスプラトリー諸島を手放し、その新たな帰属先は決められなかった。
そしていよいよ同年八月、問題の日華平和条約が発効した。その第二条には次のようにある。
■中華民国も中国領土ではないと認めていた
「日本国は、千九百五十一年九月八日にアメリカ合衆国のサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第二条に基き、台湾及び澎湖諸島並びに新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したことが承認される」
ここに書かれている通りだ。この条約によって日本のスプラトリー諸島の放棄が行われたのではなく、すでに放棄されていることが承認されたのである。当たり前だろう。日本は放棄済みの領土をあらためて放棄するなど物理的に不可能だ。
そして言いかえるなら中華民国は、同諸島は帰属先が未定であり、もちろん中華民国の領土ではないことの現実を、実際にはこのように受け入れているのである。
■混乱をもたらし続ける国共両党の領土欲
以上のように、少なくともスプラトリー諸島は中華民国の領土であるとは言えない。
そしてもちろん中華人民共和国の領土であるとも言うことができない。なぜなら同国の領有の主張の法的根拠は、一九四九年に中華民国は滅亡し、その全領土を継承したというものだが、同諸島はそもそも中華民国領には含まれていないのだから。
中華民国、そして中華人民共和国という二つの「中国」。それらの領土拡張欲や歴史捏造や法律歪曲が東支那海、南支那海での領土争いを惹き起しているのだ。
そしてもちろん台湾にしても。台湾も新南群島とまったく同じケース。日本の放棄後は帰属先未定だが、中華民国がそれを占領し、そして中華人民共和国が「統一」を呼び掛け、そのためこの島はいつまでも世界最大級の火薬庫であり続ける訳だ。
【過去の関連記事】
「南沙」は台湾領土か(上)―中国が台湾とは争わない理由 15/11/3
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-2701.html
「南沙」は台湾領土か(下)―南支那海問題で期待すべき台湾の政権交代 15/12/01
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-2702.html
*******************************************
ブログランキング参加中
よろしければクリックをお願いします。 運動を拡大したいので。
↓ ↓

モバイルはこちら
↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php
link.php
スポンサーサイト