日台分離70年―知るべき「戦後台湾」悲劇の時代
2015/10/28/Wed
■今も中華民族主義の反日宣伝を試みる国民党
今年は一九四五年の終戦から七十周年だから、日本と台湾の分離七十周年でもある。

1945年10月25日、中華民国に降伏する安藤利吉第十方面軍司令官兼台湾総督

かくて一方的に台湾領有を宣言した中華民国は、この不法行為を「台湾光復」と呼んで
正当化した
あの年の十月二十五日、連合国最高司令官の命令に基づき台湾へ進駐した中国(当時は中華民国)の軍隊、つまり国民党軍は現地の日本軍の降伏を受け入れた際、どさくさに紛れて台湾の領土編入を一方的に宣言して支配を開始。かくして日本の台湾支配は終焉した。
国民党はこの台湾編入を、抗日戦争の勝利がもたらした「光復」(台湾への中国への復帰)だと美化し、台湾支配を正当化する宣伝を行って来た。そして今年はいよいよ「抗日戦争勝利・台湾光復七十周年」ということで、国民党政権は盛んに記念行事を展開したのである。馬英九総統などは「抗戦勝利がなければ台湾光復はなかった。台湾光復がなければ今日の繁栄も民主主義もない」などと繰り返し強調した。
そして、李登輝元総統が「そもそも抗日というが、七十年前まで日本と台湾は同じ国。台湾が日本と戦ったという事実もない。われわれ紛れもなく日本人として、祖国のために戦った」などと台湾の歴史の事実を振り返るや、馬英九氏は直ちに怒りをあらわにし、「台湾を売り飛ばし、人民を辱め、自分自身をも卑しめる媚日言論だ。直ちに撤回して謝罪すべき」などと批判した。
誰も否定できない史実を語っただけにかかわらず、このような異常なまでにヒステリックな反応を見よ。国民党の「七十周年」記念の動きが、中華民族主義を高揚させるための前時代的な洗脳宣伝工作であることがよくわかる。
■「台湾光復」を祝うのは台湾人ではなく中国人

中国出身の馬英九総統。台湾人の無関心ぶりに苛立ちなが
らも、盛んに「抗戦勝利・台湾光復70周年」を宣伝していた
そのような馬英九氏について李登輝氏は、「終戦七十周年を機に、中国の「抗日」(の宣伝活動)と同調することで、中国側の歓心を買おうとしているのだろう」と指摘ている。要するに、国民党政権は中共に迎合し、台湾の中国化に懸命だということなのだろう。
そうした中、台湾紙自由時報が十月十一日に掲載した著名ジャーナリスト、盧世祥氏の「台湾光復の神話を打破せよ」と題する論文が興味深い。
馬英九氏の「抗日戦争勝利→台湾光復→今日の繁栄と民主主義」との論法を「光復三段論」と呼んだ上で、「考え方が偏狭であるだけでなく、台湾人民を主体とする歴史観とは大きな隔たりがある」と批評するとともに、こう述べている。
―――「光復」とは、「失った台湾を取り戻す」という意味で、中国史観に立った言葉だ。しかし台湾の視点で言えば、それは「戦後、中国の一部にされた」ということを意味する。
―――台湾人の希望を一切聞かずに行ったものだ。日本は統治当初、台湾人民に日本臣民になるかならないかの選択期間を与え、その結果六千人が日本人にならなかったが、「光復」の際は中国人にならない自由まで奪った。
―――台湾が清国の一省だったから中国に復帰しなければならないというのなら、なぜそれより先に台湾を領有したオランダ、スペイン、または一番早くから住んでいる原住民に復帰することはないのか。
―――「光復」を見直さざるを得ないのと同様、「抗戦勝利がなければ台湾光復はない」というのも怪しまざるを得ない。たしかに中国人民の抗戦での犠牲は悲惨だったが、しかしそれは国家のためのであり、「台湾光復」のためではなかった。毛沢東も二・二八事件(一九四七年の国民党軍による台湾住民大虐殺)当時まで、「我々は台湾独立に賛成する」と言っていた。
やはり「光復」という言葉は外来の中国人の歴史観に基づくものであり、台湾人の感覚からは抵抗感があるようだ。それから「抗日」の歴史を強調して民族主義を高揚させるという国民党の偏狭な手法にも、台湾人は馴染めないようだ。
そのため国民党の「抗日戦争勝利及び台湾光復七十周年」キャンペーンに対し、台湾人一般は無関心であり、あるいは冷淡。若い人々は「光復」が何であるかもよく知らないでいるとか。
■終戦は台湾の悲劇の時代の始まりだった
国民党が如何に洗脳宣伝を続けても、「光復」なる中国人の栄光の歴史が、台湾人の栄光の歴史になりきれない背景には、台湾人が味わった悲しみの戦後史の記憶も影響しているだろう。盧世祥氏は次のように書き綴る。
―――日本に勝利したのは、主に米軍の太平洋地域における強大な軍事力のおかげだ。それに対して蒋介石は戦後、台湾の住民自決権を剝奪し、「光復」を強制した。馬英九は「光復」が台湾にもたらされた災難だったことを無視している。
―――「光復」後の経緯から、戦後台湾の悲劇の始まりを見て取ることができる。台湾人は七十年前、「光復」を宣言した陳儀(行政長官)の腐敗、横暴、無能ぶりと、連合国最高司令官の命令に基づく「接収」を勝手に「光復」に変え、更にはそれを「略奪」へと変え、民生を困窮に陥れ、社会に大乱をもたらし、人々に不安を与えたのを見ている。

「光復」は社会を混乱させ、台湾人を反抗に走らせ、そしてそれが二・二八事件へ繋がった
―――十六カ月後の二二八事件では二万人を虐殺し、大々的に台湾人エリートを殺した。そしてそれ以来、長年にわたる白色テロ、世界最長の戒厳令が台湾を支配したのだ。人民はそれと抗争と続け、ついに自由と人権が保障されるに至ったのだ。もっとも民主主義の進展は遅く、台湾はいまだ正常な国家になりきっていない。
国民党も中共と同様、日本軍の中国における侵略、虐殺、略奪を強調する反日教育、反日宣伝を好むが、国民党こそがそうした行為を、戦後台湾で繰り広げて来たのだ。
もちろん同党はそれに「反省と謝罪」などしていない。していないからこそ「光復」を記念したがるのだ。
■台湾を忘却してきた戦後日本人

「光復」がもたらしたのは白色テロなどの台湾人への弾圧、迫害であって、「民主主義」な
どではなかった
―――「光復」が歴史の悲劇を醸成したのには理由がある。簡単に言えば、日本の統治を五十年間受けた台湾では、人民と社会の近代化のレベルが明らかに中国を上回ったためだ。
―――「光復」は文明レベルの低い統治者が行ったものだった。しかもさらにひどいことに、その新統治者は民を親しみ愛することを知らず、不可解な優越感で威張り散らし、台湾を再び殖民統治の被害者に変えたのだ。その殖民者たるや何とも劣悪だった。
―――米国のトルーマン大統領の命を受け、中国の戦後情勢を調査し、二二八事件から六カ月後に台湾を訪れたアルバート・ウェデマイヤー将軍が国務省に寄せた一文が最も参考になる。
―――それによれば当時の台湾は「日本人によって早くから辺鄙な地域にまで電化が行われ、また優れた鉄道、道路網が敷設され、八〇%の住民が読み書きできた。中国とは全く逆の情景である」。そして「台湾人は日本からの解放を切実に望んでいたが、戦後この善良な人々は陳儀とその手下の残忍、腐敗、貪欲で理屈に合わない数々の横暴な振る舞いを加えられた。陸軍は征服者の態度で臨み、秘密警察は恐喝を繰り返すなど、悪事で中央政府の人民搾取を手助けした。そのため台湾人の多くは日本統治下の状況の方が好かったと感じざるを得なくなった。
このようにして戦後の台湾人は「親日」になったわけだ。中国人ではなく日本人こそ、自分たちとは文明が同じだと確認し、親しみを抱いたのであろう。
もっともこうした台湾人の苦難など、国民党の情報隠蔽、そして戦後日本人の台湾に対する忘却、無関心のため、日本にはほとんど伝わって来なかった。
■日本人も考えるべき台湾の過去と未来
―――二・二八事件前後の社会に民情については、米国の著名な戦場記者であるジャック・ベルデンの台湾での記録がある。それによれば「台湾島から逃げ出す犬(日本人)と走り込んできた豚(外省人)を描いたポスターが至る所で見られた。そこには「犬は吠えるが人を守る。豚はただ食って寝るだけ」と書かれていた。「犬去って豚来る」は当時の人民に共通した感想だ」という。
―――そして「私は蒋介石の台湾人民に対する行為、そして天理人道に背いた犯罪行為を許すことができない」というのだ。
―――「光復」が台湾に与えた損害は厳重だ。台湾の主体性を重んじる観点で言えば、「略奪」「再殖民」「中国による占領」「軒を貸して母屋取られる」となろう。そう表現する方が「光復」よりも事実に近い。
何が「台湾光復がなければ今日の繁栄も民主主義もない」だろう。日本人も台湾との別離から七十年を迎えたのを機に、かつての同胞である台湾人とその子孫が、その間においてどのような苦難を味わったかという知られざる歴史を振り返るべきだろう。
そして台湾の人々が今後二度と、国民党であれ中共であれ、中国人に支配されてはならないということが理解できるようになればと思うのである。
そのような考えで盧世祥氏の論文の一部を紹介した次第だ。
【過去の関連記事】
日本人も知るべき「台湾光復」七十周年の虚構―「一つの中国」という中国人(国共両党)の主張に根拠なし 15/10/16
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-2669.html
戦後台湾人「親日感情」の理由―中華民国「台湾占領」(日台分断)から七十周年 15/10/24
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-2676.html
産経「台湾報道」を補足する―「台湾は中国領土」の主張の原点は七十年前の作り話にあり 15/10/26
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-2677.html
*******************************************
ブログランキング参加中
よろしければクリックをお願いします。 運動を拡大したいので。
↓ ↓

モバイルはこちら
↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php
link.php
■頑張れ日本!全国行動委員会・埼玉県本部 設立4周年記念講演会
鈴木 邦子氏(元日本文化チャンネル桜キャスター)
「最近の国際情勢と日本外交~ポスト新安保体制~」

■日時:平成27年11月1日(日)
■会場:さいたま共済会館5F
さいたま市浦和区岸町7-5-14
JR「浦和」駅西口下車 徒歩10分
TEL 048-822-3330
http://www.saitama-ctv-kyosai.net/kyosai_kaikan/
受付:午後2時00分
開演:午後2時30分
懇親会 午後4時半~
■会費:1,000円
懇親会:2,000円
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆講師プロフィール
(すずき・くにこ)慶應大学法学部政治学科を首席卒業。在学中は、「東南アジア青年の船」に参加。大学院は、欧州にて、トゥルーズ第一大学政治学前期博士号(DEA)及びヨーロピアン大学経営学修士号(MBA)の二つの学位を修める。後期博士課程は、慶應大学の法学研究科で単位取得退学。外務省や国会議員事務所での職務経験を有す(1989-1997)。その後、岡崎研究所や東京大学先端科学技術研究
センター(RCAST)等で研究員、東京大学特任助教授、㈱日本文化チャンネル桜キャスターなどをつとめる。著書に『歴代首相物語』(共著、御厨貴編、新書館、2003年)、『日本の外交政策決定要因』(共著、橋本光平編、PHP研究所、1999年)などがある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
協賛:頑張れ日本!全国行動委員会
頑張れ日本!全国行動委員会・東京荒川支部
頑張れ日本!全国行動委員会・群馬県支部
頑張れ日本!全国行動委員会・栃木県本部
頑張れ日本!全国行動委員会・茨城県本部
お問い合わせ 090-8854-4305(船富)
今年は一九四五年の終戦から七十周年だから、日本と台湾の分離七十周年でもある。

1945年10月25日、中華民国に降伏する安藤利吉第十方面軍司令官兼台湾総督

かくて一方的に台湾領有を宣言した中華民国は、この不法行為を「台湾光復」と呼んで
正当化した
あの年の十月二十五日、連合国最高司令官の命令に基づき台湾へ進駐した中国(当時は中華民国)の軍隊、つまり国民党軍は現地の日本軍の降伏を受け入れた際、どさくさに紛れて台湾の領土編入を一方的に宣言して支配を開始。かくして日本の台湾支配は終焉した。
国民党はこの台湾編入を、抗日戦争の勝利がもたらした「光復」(台湾への中国への復帰)だと美化し、台湾支配を正当化する宣伝を行って来た。そして今年はいよいよ「抗日戦争勝利・台湾光復七十周年」ということで、国民党政権は盛んに記念行事を展開したのである。馬英九総統などは「抗戦勝利がなければ台湾光復はなかった。台湾光復がなければ今日の繁栄も民主主義もない」などと繰り返し強調した。
そして、李登輝元総統が「そもそも抗日というが、七十年前まで日本と台湾は同じ国。台湾が日本と戦ったという事実もない。われわれ紛れもなく日本人として、祖国のために戦った」などと台湾の歴史の事実を振り返るや、馬英九氏は直ちに怒りをあらわにし、「台湾を売り飛ばし、人民を辱め、自分自身をも卑しめる媚日言論だ。直ちに撤回して謝罪すべき」などと批判した。
誰も否定できない史実を語っただけにかかわらず、このような異常なまでにヒステリックな反応を見よ。国民党の「七十周年」記念の動きが、中華民族主義を高揚させるための前時代的な洗脳宣伝工作であることがよくわかる。
■「台湾光復」を祝うのは台湾人ではなく中国人

中国出身の馬英九総統。台湾人の無関心ぶりに苛立ちなが
らも、盛んに「抗戦勝利・台湾光復70周年」を宣伝していた
そのような馬英九氏について李登輝氏は、「終戦七十周年を機に、中国の「抗日」(の宣伝活動)と同調することで、中国側の歓心を買おうとしているのだろう」と指摘ている。要するに、国民党政権は中共に迎合し、台湾の中国化に懸命だということなのだろう。
そうした中、台湾紙自由時報が十月十一日に掲載した著名ジャーナリスト、盧世祥氏の「台湾光復の神話を打破せよ」と題する論文が興味深い。
馬英九氏の「抗日戦争勝利→台湾光復→今日の繁栄と民主主義」との論法を「光復三段論」と呼んだ上で、「考え方が偏狭であるだけでなく、台湾人民を主体とする歴史観とは大きな隔たりがある」と批評するとともに、こう述べている。
―――「光復」とは、「失った台湾を取り戻す」という意味で、中国史観に立った言葉だ。しかし台湾の視点で言えば、それは「戦後、中国の一部にされた」ということを意味する。
―――台湾人の希望を一切聞かずに行ったものだ。日本は統治当初、台湾人民に日本臣民になるかならないかの選択期間を与え、その結果六千人が日本人にならなかったが、「光復」の際は中国人にならない自由まで奪った。
―――台湾が清国の一省だったから中国に復帰しなければならないというのなら、なぜそれより先に台湾を領有したオランダ、スペイン、または一番早くから住んでいる原住民に復帰することはないのか。
―――「光復」を見直さざるを得ないのと同様、「抗戦勝利がなければ台湾光復はない」というのも怪しまざるを得ない。たしかに中国人民の抗戦での犠牲は悲惨だったが、しかしそれは国家のためのであり、「台湾光復」のためではなかった。毛沢東も二・二八事件(一九四七年の国民党軍による台湾住民大虐殺)当時まで、「我々は台湾独立に賛成する」と言っていた。
やはり「光復」という言葉は外来の中国人の歴史観に基づくものであり、台湾人の感覚からは抵抗感があるようだ。それから「抗日」の歴史を強調して民族主義を高揚させるという国民党の偏狭な手法にも、台湾人は馴染めないようだ。
そのため国民党の「抗日戦争勝利及び台湾光復七十周年」キャンペーンに対し、台湾人一般は無関心であり、あるいは冷淡。若い人々は「光復」が何であるかもよく知らないでいるとか。
■終戦は台湾の悲劇の時代の始まりだった
国民党が如何に洗脳宣伝を続けても、「光復」なる中国人の栄光の歴史が、台湾人の栄光の歴史になりきれない背景には、台湾人が味わった悲しみの戦後史の記憶も影響しているだろう。盧世祥氏は次のように書き綴る。
―――日本に勝利したのは、主に米軍の太平洋地域における強大な軍事力のおかげだ。それに対して蒋介石は戦後、台湾の住民自決権を剝奪し、「光復」を強制した。馬英九は「光復」が台湾にもたらされた災難だったことを無視している。
―――「光復」後の経緯から、戦後台湾の悲劇の始まりを見て取ることができる。台湾人は七十年前、「光復」を宣言した陳儀(行政長官)の腐敗、横暴、無能ぶりと、連合国最高司令官の命令に基づく「接収」を勝手に「光復」に変え、更にはそれを「略奪」へと変え、民生を困窮に陥れ、社会に大乱をもたらし、人々に不安を与えたのを見ている。

「光復」は社会を混乱させ、台湾人を反抗に走らせ、そしてそれが二・二八事件へ繋がった
―――十六カ月後の二二八事件では二万人を虐殺し、大々的に台湾人エリートを殺した。そしてそれ以来、長年にわたる白色テロ、世界最長の戒厳令が台湾を支配したのだ。人民はそれと抗争と続け、ついに自由と人権が保障されるに至ったのだ。もっとも民主主義の進展は遅く、台湾はいまだ正常な国家になりきっていない。
国民党も中共と同様、日本軍の中国における侵略、虐殺、略奪を強調する反日教育、反日宣伝を好むが、国民党こそがそうした行為を、戦後台湾で繰り広げて来たのだ。
もちろん同党はそれに「反省と謝罪」などしていない。していないからこそ「光復」を記念したがるのだ。
■台湾を忘却してきた戦後日本人

「光復」がもたらしたのは白色テロなどの台湾人への弾圧、迫害であって、「民主主義」な
どではなかった
―――「光復」が歴史の悲劇を醸成したのには理由がある。簡単に言えば、日本の統治を五十年間受けた台湾では、人民と社会の近代化のレベルが明らかに中国を上回ったためだ。
―――「光復」は文明レベルの低い統治者が行ったものだった。しかもさらにひどいことに、その新統治者は民を親しみ愛することを知らず、不可解な優越感で威張り散らし、台湾を再び殖民統治の被害者に変えたのだ。その殖民者たるや何とも劣悪だった。
―――米国のトルーマン大統領の命を受け、中国の戦後情勢を調査し、二二八事件から六カ月後に台湾を訪れたアルバート・ウェデマイヤー将軍が国務省に寄せた一文が最も参考になる。
―――それによれば当時の台湾は「日本人によって早くから辺鄙な地域にまで電化が行われ、また優れた鉄道、道路網が敷設され、八〇%の住民が読み書きできた。中国とは全く逆の情景である」。そして「台湾人は日本からの解放を切実に望んでいたが、戦後この善良な人々は陳儀とその手下の残忍、腐敗、貪欲で理屈に合わない数々の横暴な振る舞いを加えられた。陸軍は征服者の態度で臨み、秘密警察は恐喝を繰り返すなど、悪事で中央政府の人民搾取を手助けした。そのため台湾人の多くは日本統治下の状況の方が好かったと感じざるを得なくなった。
このようにして戦後の台湾人は「親日」になったわけだ。中国人ではなく日本人こそ、自分たちとは文明が同じだと確認し、親しみを抱いたのであろう。
もっともこうした台湾人の苦難など、国民党の情報隠蔽、そして戦後日本人の台湾に対する忘却、無関心のため、日本にはほとんど伝わって来なかった。
■日本人も考えるべき台湾の過去と未来
―――二・二八事件前後の社会に民情については、米国の著名な戦場記者であるジャック・ベルデンの台湾での記録がある。それによれば「台湾島から逃げ出す犬(日本人)と走り込んできた豚(外省人)を描いたポスターが至る所で見られた。そこには「犬は吠えるが人を守る。豚はただ食って寝るだけ」と書かれていた。「犬去って豚来る」は当時の人民に共通した感想だ」という。
―――そして「私は蒋介石の台湾人民に対する行為、そして天理人道に背いた犯罪行為を許すことができない」というのだ。
―――「光復」が台湾に与えた損害は厳重だ。台湾の主体性を重んじる観点で言えば、「略奪」「再殖民」「中国による占領」「軒を貸して母屋取られる」となろう。そう表現する方が「光復」よりも事実に近い。
何が「台湾光復がなければ今日の繁栄も民主主義もない」だろう。日本人も台湾との別離から七十年を迎えたのを機に、かつての同胞である台湾人とその子孫が、その間においてどのような苦難を味わったかという知られざる歴史を振り返るべきだろう。
そして台湾の人々が今後二度と、国民党であれ中共であれ、中国人に支配されてはならないということが理解できるようになればと思うのである。
そのような考えで盧世祥氏の論文の一部を紹介した次第だ。
【過去の関連記事】
日本人も知るべき「台湾光復」七十周年の虚構―「一つの中国」という中国人(国共両党)の主張に根拠なし 15/10/16
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-2669.html
戦後台湾人「親日感情」の理由―中華民国「台湾占領」(日台分断)から七十周年 15/10/24
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-2676.html
産経「台湾報道」を補足する―「台湾は中国領土」の主張の原点は七十年前の作り話にあり 15/10/26
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-2677.html
*******************************************
ブログランキング参加中
よろしければクリックをお願いします。 運動を拡大したいので。
↓ ↓

モバイルはこちら
↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php
link.php
■頑張れ日本!全国行動委員会・埼玉県本部 設立4周年記念講演会
鈴木 邦子氏(元日本文化チャンネル桜キャスター)
「最近の国際情勢と日本外交~ポスト新安保体制~」

■日時:平成27年11月1日(日)
■会場:さいたま共済会館5F
さいたま市浦和区岸町7-5-14
JR「浦和」駅西口下車 徒歩10分
TEL 048-822-3330
http://www.saitama-ctv-kyosai.net/kyosai_kaikan/
受付:午後2時00分
開演:午後2時30分
懇親会 午後4時半~
■会費:1,000円
懇親会:2,000円
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆講師プロフィール
(すずき・くにこ)慶應大学法学部政治学科を首席卒業。在学中は、「東南アジア青年の船」に参加。大学院は、欧州にて、トゥルーズ第一大学政治学前期博士号(DEA)及びヨーロピアン大学経営学修士号(MBA)の二つの学位を修める。後期博士課程は、慶應大学の法学研究科で単位取得退学。外務省や国会議員事務所での職務経験を有す(1989-1997)。その後、岡崎研究所や東京大学先端科学技術研究
センター(RCAST)等で研究員、東京大学特任助教授、㈱日本文化チャンネル桜キャスターなどをつとめる。著書に『歴代首相物語』(共著、御厨貴編、新書館、2003年)、『日本の外交政策決定要因』(共著、橋本光平編、PHP研究所、1999年)などがある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
協賛:頑張れ日本!全国行動委員会
頑張れ日本!全国行動委員会・東京荒川支部
頑張れ日本!全国行動委員会・群馬県支部
頑張れ日本!全国行動委員会・栃木県本部
頑張れ日本!全国行動委員会・茨城県本部
お問い合わせ 090-8854-4305(船富)
スポンサーサイト