戦中・戦後「台湾人慰安婦」の比較
2015/10/15/Thu
九〇年代の日本の左翼グループによる慰安婦訴訟の原告(元慰安婦)探しなどで、台湾でも所謂「従軍慰安婦」問題なるが注目され始め、今や日本による台湾人慰安婦の「強制連行」は哀しみの史実として定着してしまっている。

戦後台湾の中華民国軍の慰安所「軍中楽園」(軍中特約茶室)。警察に強制連行され
た台湾人女性たちが、ここで「奴隷」のように働かされていたとされる
もっともこの国では早くから、慰安婦は「強迫」ではなく「自願」(自身の意思)による、といった歴史証言も少なからず見られてはいる。しかしその一方で、日本統治時代の歴史を否定することで、戦後の中華民国による台湾支配の正当性を強調するとともに、「親日的な台湾人」を「反日的な中国人」へと思想改造したい国民党勢力は、慰安婦の「強制連行」を日本の残虐支配の象徴と位置付け、宣伝するのである。
国民党政権が昨年、高校で使う台湾史の教科書に中華民族主義の色彩を加えるべく改訂した学習指導要領も、「女性は強迫されて慰安婦になった」と記述するよう指導している。
そして馬英九総統などは、今年はまるで慰安婦問題の専門家気取りだ。国民党の抗日戦争勝利七十周年を迎え、まるで中共が南京大虐殺の虚構を振り回すように、こちらは慰安婦のそれを何かに付け強調。慰安婦を公開の場で「性奴隷」と呼んで憚らずにいる。十月二十五日には、慰安婦記念館を開設する意向もすでに表明している。

近年、慰安婦問題に強い関心を示す馬英九総統(中央)
報道によれば、台湾は来年三月にも中国や韓国などと共同で、慰安婦関連の資料をユネスコの記憶遺産に登録申請を行う計画とされるが、その背景にはこうした状況があるである。
そうした中、「慰安婦は強迫ではなく自分の意思」との台湾人の証言や分析は今でも少なくない。
発行部数最大の自由時報が七月十一日に掲載した読者投書もその一つだ。

台湾紙自由時報が7月11日に掲載した慰安婦に関する貴重な内容の投書
筆者は林瑤棋氏という医師。これこそ貴重な「慰安婦関連資料」と呼ぶべき内容につき、以下にその全訳を載せたい。
誰が強迫して慰安婦にしたか?
◎林瑤棋
昨日の貴紙A三面が掲載した、台湾史の改訂学習指導要領に関する十七項目の争点についての報道を拝読。その中の第十七項目目の、“「慰安婦」との記述の「女性は脅迫されて慰安婦になった」への書き改め”についてだが、私はこの問題に関して少し知るところがあり、それについて申し上げたい。
私のおばの夫の顔氏(もし健在なら今年百十二歳)は、もともと沙鹿で飲食店(飲み屋)を経営していたが、太平洋戦争(※大東亜戦争)が始まると台湾は不景気に見舞われ、特に飲食店への影響は深刻だった。そこで一九四三年ごろから、彼は慰安婦の仲介を兼業せざる得えなくなったのだが、実はこの仕事が飲食店などより遥かに儲かった。
彼は仲介業を営みながら、その状況をよくおばあちゃんに報告していた。当時私はすでに分別が付く年齢で、彼らの会話内容はみな理解できた。
彼によれば、「みな貧しかったため、私が勧誘すると(もちろん強迫ではない)、大勢の酌婦が収入のはるかに好い慰安婦に応募して来た。また田舎を廻り、貧しい家の娘の募集も行った」という。「仲介業でとても稼いだ」と言っていた。
筆者はすでに八十歳の老人だが、私が知り、あるいは見て来たところでは、慰安婦は日本のも中華民国のも似たようなものだった。
良心に従って言うが、慰安婦が多かったのは中華民国の方で、私の推定では民国三十九年(※一九五〇年)以降の三、四十年間だけでも、台湾、澎湖、金門、馬祖の慰安婦は、少なくとも数万人はいた。これらの人達の大多数は今も健在である。ただ賠償金ほしさに表に出て来ないだけだ。
私が民国四十年代(※一九五一~一九六〇年)に軍務に就いた時、金門島のある軍中楽園(※慰安所)で一七歳の女性を見たことがある。彼女は万華の宝斗里で私娼をしていた時、警察に捕えられ軍中楽園へ送られた。彼女は若く新参者だったので、毎日数十人もの強く勇ましい砲兵の相手をさせられ、それに耐えられず毎日しくしく泣いていた。「痛くても休ませてもらえないのだ」と。この手の慰安婦が「強迫」された者でないというなら、「強迫」とは一体何なのか。
私は以前、台北市から私達の住む田舎に派遣されて来た蔡という警察官から、こう聞かされたことがある。
「軍中楽園で女が不足する時はたいてい、国防部が警務処(※警察)とともに私娼を捕え、慰安婦として送り込んだ。中華民国の法律によれば、娼妓の許可証がもらえるのは満二十歳からだが、当時の多くの貧しい家庭は一六、七歳で女児を売り、そして年齢の足りない彼女たちは私娼になるほかなかった。私娼を捕えるのは簡単で、寶斗里の環河南路に行きさえすれば捕まえられた。午前中に十数人捕まえるのも問題ではない。業績にもなったし奨金ももらえ、警察官にとっては好い仕事の一つだった」
要するに、台湾人女性を強迫し慰安婦にしたというなら、日本より中華民国の方が深刻な状況だった。指導要領の改訂は、この問題では特に慎重であるべきだ。(医師)
台湾で慰安婦を強制連行を行い、「性奴隷」として虐げたのは国民党勢力、すなわち中国人の軍隊、警察であり、そして今や中国人の政治家たちは、自分たちが実際に行って来た犯罪的行為を隠蔽し、その悪行を日本人のものだと宣伝し、そして行く行くは中韓などと組んで国際社会で日本を糾弾しようというわけだ。
いずれにせよこのたびの林瑤棋氏による、日本時代の慰安婦募集に関する話は、大変貴重で参考になるものであり、台湾人にも、そして日本人にも広く読まれることを期待したい。
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戦後台湾の中華民国軍の慰安所「軍中楽園」(軍中特約茶室)。警察に強制連行され
た台湾人女性たちが、ここで「奴隷」のように働かされていたとされる
もっともこの国では早くから、慰安婦は「強迫」ではなく「自願」(自身の意思)による、といった歴史証言も少なからず見られてはいる。しかしその一方で、日本統治時代の歴史を否定することで、戦後の中華民国による台湾支配の正当性を強調するとともに、「親日的な台湾人」を「反日的な中国人」へと思想改造したい国民党勢力は、慰安婦の「強制連行」を日本の残虐支配の象徴と位置付け、宣伝するのである。
国民党政権が昨年、高校で使う台湾史の教科書に中華民族主義の色彩を加えるべく改訂した学習指導要領も、「女性は強迫されて慰安婦になった」と記述するよう指導している。
そして馬英九総統などは、今年はまるで慰安婦問題の専門家気取りだ。国民党の抗日戦争勝利七十周年を迎え、まるで中共が南京大虐殺の虚構を振り回すように、こちらは慰安婦のそれを何かに付け強調。慰安婦を公開の場で「性奴隷」と呼んで憚らずにいる。十月二十五日には、慰安婦記念館を開設する意向もすでに表明している。

近年、慰安婦問題に強い関心を示す馬英九総統(中央)
報道によれば、台湾は来年三月にも中国や韓国などと共同で、慰安婦関連の資料をユネスコの記憶遺産に登録申請を行う計画とされるが、その背景にはこうした状況があるである。
そうした中、「慰安婦は強迫ではなく自分の意思」との台湾人の証言や分析は今でも少なくない。
発行部数最大の自由時報が七月十一日に掲載した読者投書もその一つだ。

台湾紙自由時報が7月11日に掲載した慰安婦に関する貴重な内容の投書
筆者は林瑤棋氏という医師。これこそ貴重な「慰安婦関連資料」と呼ぶべき内容につき、以下にその全訳を載せたい。
誰が強迫して慰安婦にしたか?
◎林瑤棋
昨日の貴紙A三面が掲載した、台湾史の改訂学習指導要領に関する十七項目の争点についての報道を拝読。その中の第十七項目目の、“「慰安婦」との記述の「女性は脅迫されて慰安婦になった」への書き改め”についてだが、私はこの問題に関して少し知るところがあり、それについて申し上げたい。
私のおばの夫の顔氏(もし健在なら今年百十二歳)は、もともと沙鹿で飲食店(飲み屋)を経営していたが、太平洋戦争(※大東亜戦争)が始まると台湾は不景気に見舞われ、特に飲食店への影響は深刻だった。そこで一九四三年ごろから、彼は慰安婦の仲介を兼業せざる得えなくなったのだが、実はこの仕事が飲食店などより遥かに儲かった。
彼は仲介業を営みながら、その状況をよくおばあちゃんに報告していた。当時私はすでに分別が付く年齢で、彼らの会話内容はみな理解できた。
彼によれば、「みな貧しかったため、私が勧誘すると(もちろん強迫ではない)、大勢の酌婦が収入のはるかに好い慰安婦に応募して来た。また田舎を廻り、貧しい家の娘の募集も行った」という。「仲介業でとても稼いだ」と言っていた。
筆者はすでに八十歳の老人だが、私が知り、あるいは見て来たところでは、慰安婦は日本のも中華民国のも似たようなものだった。
良心に従って言うが、慰安婦が多かったのは中華民国の方で、私の推定では民国三十九年(※一九五〇年)以降の三、四十年間だけでも、台湾、澎湖、金門、馬祖の慰安婦は、少なくとも数万人はいた。これらの人達の大多数は今も健在である。ただ賠償金ほしさに表に出て来ないだけだ。
私が民国四十年代(※一九五一~一九六〇年)に軍務に就いた時、金門島のある軍中楽園(※慰安所)で一七歳の女性を見たことがある。彼女は万華の宝斗里で私娼をしていた時、警察に捕えられ軍中楽園へ送られた。彼女は若く新参者だったので、毎日数十人もの強く勇ましい砲兵の相手をさせられ、それに耐えられず毎日しくしく泣いていた。「痛くても休ませてもらえないのだ」と。この手の慰安婦が「強迫」された者でないというなら、「強迫」とは一体何なのか。
私は以前、台北市から私達の住む田舎に派遣されて来た蔡という警察官から、こう聞かされたことがある。
「軍中楽園で女が不足する時はたいてい、国防部が警務処(※警察)とともに私娼を捕え、慰安婦として送り込んだ。中華民国の法律によれば、娼妓の許可証がもらえるのは満二十歳からだが、当時の多くの貧しい家庭は一六、七歳で女児を売り、そして年齢の足りない彼女たちは私娼になるほかなかった。私娼を捕えるのは簡単で、寶斗里の環河南路に行きさえすれば捕まえられた。午前中に十数人捕まえるのも問題ではない。業績にもなったし奨金ももらえ、警察官にとっては好い仕事の一つだった」
要するに、台湾人女性を強迫し慰安婦にしたというなら、日本より中華民国の方が深刻な状況だった。指導要領の改訂は、この問題では特に慎重であるべきだ。(医師)
台湾で慰安婦を強制連行を行い、「性奴隷」として虐げたのは国民党勢力、すなわち中国人の軍隊、警察であり、そして今や中国人の政治家たちは、自分たちが実際に行って来た犯罪的行為を隠蔽し、その悪行を日本人のものだと宣伝し、そして行く行くは中韓などと組んで国際社会で日本を糾弾しようというわけだ。
いずれにせよこのたびの林瑤棋氏による、日本時代の慰安婦募集に関する話は、大変貴重で参考になるものであり、台湾人にも、そして日本人にも広く読まれることを期待したい。
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