台湾で歴史再認識―台北大空襲七十周年の記念行事が
2015/06/01/Mon
中国人にとり今年は抗日戦争勝利七十周年。中国政府だけでなく台湾の国民党政権も記念行事を行う予定だ。中共が抗日の主役だったとする中国側のプロパガンダに対抗し、国民党こそが主役だったと反論して、中華民国の栄光を宣揚する狙いがある。
また抗日勝利七十周年に合わせて台湾光復七十周年も記念する。光復とは台湾の中国(当時は中華民国)への復帰を意味する。
馬英九総統は「抗戦の勝利がなければ台湾は日本の殖民地から脱却し、我が国の版図に復帰することはなかった。そして台湾の光復(台湾が中国に復帰すること)がなかったなら、台湾の戦後の発展はなく、とうに赤化したことだろう」と胸を張る。
しかし台湾光復の実態は、国民党の中国人による不法な領土編入であり(当時台湾はまだ日本領土)、不条理な殖民地支配の始まりを意味した。「台湾の戦後の発展」とはいうが、略奪、搾取を旨とする国民党の支配がなければ、台湾の復興、発展はもっと早かったはずだというのが、当時を知る台湾人の実感である。
さらには国民党は、台湾を赤化から守り抜いたと自賛しつづけるが、国民党が台湾を占領しなければ国共内戦に巻き込まれることもなかったのではないか。当時の台湾人にとり、赤化の脅威は国民党が持ち込んだ禍以上の何物でもなかった。
そうした台湾人の観点を無視するのが、「台湾光復」の記念なのである。「抗日勝利」の記念に至っては、さらに台湾人とは無関係な話だ。なぜなら当時台湾人は日本国民だったからだ。
しかしそうしたことに対し、戦後育ちの台湾人の多くに疑問や違和感はない。なぜなら長期間にわたる洗脳教育で、歴史の真実を追及するという発想を奪われてきたからだ。
たとえば九〇年代の民主化以前、学校では中国史(大中国史観)を教えても、日本統治時代を含む台湾の歴史はタブー視された。これにより人々は、日本時代とはいかなる時代かをイメージすることすらできなくなった。
しかし今日状況は大きく変わりつつある。失われた(あるいは奪われた)台湾の本当の歴史を取り戻そうとの気運が大いに高まっているのだ。
馬英九政権は学校教育で大中国史観を復活させ、再び人々を洗脳しよう躍起になるが(抗戦勝利の記念も、大中国史観から来る抗日史観に基づいている)、全国の学者、教師から生徒に至るまで、そうした歴史捏造の営みに反対の声が高まっている。
そうしたなかの五月三十一日、一九四五年のその日に起きた台北大空襲七十周年記念の行事が台北の総統府で開かれた。主催は台湾北社、台湾国家連盟といった民間の知識人グループなど。

メディアやネットユーザーの若者たちもこの事件を取り上げ、議論を展開。こうしたことが大きな話題を呼んだ。
ではなぜこれが話題になったのかと言えば、これほどの大事件がこれまで、ほとんど語られずに来たからだ。
大東亜戦争中、もちろん台湾も米軍の空襲を受けたが、その中で最大規模だったのが、この台北大空襲である。総督府(現総統府)の建物を含む市の中心部は破壊され、三千人もが亡くなり、数万人が家を失っている。それであるにもかかわらず、これが忘却の彼方に追いやられたのは、国民党が日本時代の歴史を抹殺したからだ。

破壊された台湾総督府庁舎

台北大空襲70周年記念の音楽会
国民党は連合軍の犯罪行為を隠蔽すると言う以上に、日本国民だった台湾人の戦争被害など、いっさい関心を示さなかったということだろう。
記念行事の主催者は、国民党が持ち込んだ連合国側の「太平洋戦争」との呼称を排し、当時の「大東亜戦争」を用いた。これは歴史からの「政治」の排除を意味するのだろう。
主催者はまた、台北大空襲と東京大空襲とを日台共通の歴史記憶にしようとも訴えたそうだ。日台は運命共同体との観点から、歴史を再認識しようということらしい。
一方、ネット上では支那事変、大東亜戦争中に二十万人もの台湾人が軍人、軍属として従軍し、そのうち三万人もが戦死したことなども強調された。これもまた、国民党によって奪われた台湾人の重要な歴史の一部だ。
台湾の歴史を取り戻すこともまた、台湾を台湾人の国家たらしめる重要な営みの一つなのだろう。
反日史観に侵され、いまだに中国の抗日勝利七十周年記念行事にシンパシーを抱く日本人も多そうだが、戦時中は台湾の人々が日本のために戦い、大勢が犠牲になった歴史にこそ、日本人が戦後七十周年を機に、思いを致すべきではないだろうか。
どうしても過去について「反省と謝罪」をしたいというなら、そうした台湾人の歴史を戦後久しく忘れて来たことについてだろう。
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また抗日勝利七十周年に合わせて台湾光復七十周年も記念する。光復とは台湾の中国(当時は中華民国)への復帰を意味する。
馬英九総統は「抗戦の勝利がなければ台湾は日本の殖民地から脱却し、我が国の版図に復帰することはなかった。そして台湾の光復(台湾が中国に復帰すること)がなかったなら、台湾の戦後の発展はなく、とうに赤化したことだろう」と胸を張る。
しかし台湾光復の実態は、国民党の中国人による不法な領土編入であり(当時台湾はまだ日本領土)、不条理な殖民地支配の始まりを意味した。「台湾の戦後の発展」とはいうが、略奪、搾取を旨とする国民党の支配がなければ、台湾の復興、発展はもっと早かったはずだというのが、当時を知る台湾人の実感である。
さらには国民党は、台湾を赤化から守り抜いたと自賛しつづけるが、国民党が台湾を占領しなければ国共内戦に巻き込まれることもなかったのではないか。当時の台湾人にとり、赤化の脅威は国民党が持ち込んだ禍以上の何物でもなかった。
そうした台湾人の観点を無視するのが、「台湾光復」の記念なのである。「抗日勝利」の記念に至っては、さらに台湾人とは無関係な話だ。なぜなら当時台湾人は日本国民だったからだ。
しかしそうしたことに対し、戦後育ちの台湾人の多くに疑問や違和感はない。なぜなら長期間にわたる洗脳教育で、歴史の真実を追及するという発想を奪われてきたからだ。
たとえば九〇年代の民主化以前、学校では中国史(大中国史観)を教えても、日本統治時代を含む台湾の歴史はタブー視された。これにより人々は、日本時代とはいかなる時代かをイメージすることすらできなくなった。
しかし今日状況は大きく変わりつつある。失われた(あるいは奪われた)台湾の本当の歴史を取り戻そうとの気運が大いに高まっているのだ。
馬英九政権は学校教育で大中国史観を復活させ、再び人々を洗脳しよう躍起になるが(抗戦勝利の記念も、大中国史観から来る抗日史観に基づいている)、全国の学者、教師から生徒に至るまで、そうした歴史捏造の営みに反対の声が高まっている。
そうしたなかの五月三十一日、一九四五年のその日に起きた台北大空襲七十周年記念の行事が台北の総統府で開かれた。主催は台湾北社、台湾国家連盟といった民間の知識人グループなど。

メディアやネットユーザーの若者たちもこの事件を取り上げ、議論を展開。こうしたことが大きな話題を呼んだ。
ではなぜこれが話題になったのかと言えば、これほどの大事件がこれまで、ほとんど語られずに来たからだ。
大東亜戦争中、もちろん台湾も米軍の空襲を受けたが、その中で最大規模だったのが、この台北大空襲である。総督府(現総統府)の建物を含む市の中心部は破壊され、三千人もが亡くなり、数万人が家を失っている。それであるにもかかわらず、これが忘却の彼方に追いやられたのは、国民党が日本時代の歴史を抹殺したからだ。

破壊された台湾総督府庁舎


台北大空襲70周年記念の音楽会
国民党は連合軍の犯罪行為を隠蔽すると言う以上に、日本国民だった台湾人の戦争被害など、いっさい関心を示さなかったということだろう。
記念行事の主催者は、国民党が持ち込んだ連合国側の「太平洋戦争」との呼称を排し、当時の「大東亜戦争」を用いた。これは歴史からの「政治」の排除を意味するのだろう。
主催者はまた、台北大空襲と東京大空襲とを日台共通の歴史記憶にしようとも訴えたそうだ。日台は運命共同体との観点から、歴史を再認識しようということらしい。
一方、ネット上では支那事変、大東亜戦争中に二十万人もの台湾人が軍人、軍属として従軍し、そのうち三万人もが戦死したことなども強調された。これもまた、国民党によって奪われた台湾人の重要な歴史の一部だ。
台湾の歴史を取り戻すこともまた、台湾を台湾人の国家たらしめる重要な営みの一つなのだろう。
反日史観に侵され、いまだに中国の抗日勝利七十周年記念行事にシンパシーを抱く日本人も多そうだが、戦時中は台湾の人々が日本のために戦い、大勢が犠牲になった歴史にこそ、日本人が戦後七十周年を機に、思いを致すべきではないだろうか。
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