台湾人はなぜ善良か―中国人との異なりを考える
2015/04/16/Thu
■台湾人は中国人ではない
台湾へ出かけて台湾好きになる日本人が多いが、その最大の理由は、台湾人の心の温かさではないだろうか。私もそうした一人で、つねづねそれに感動している。
また、現地に行かずとも、日本の被災地への支援ぶりを見て、台湾ファンになった人も大勢いる。
それに比べて中国人には、他人に冷たく、人を騙すという印象が強い。その上、反理性的な反日姿勢も際立って見える。
そのため「同じ中国人なのに、なぜ台湾人はこうも違うのか」という声がよく聞かれる。だがその回答は「台湾人は中国人ではない」に尽きる。

どうして台湾と中国は大きく異なるのか
人の心も社会の価値観も、台湾と中国とはどうして大きく違うのか。これは今日の社会制度の異なり以前の問題だろう。なぜなら終戦直後から、今日のような両者の文化の違いは歴然としていた。
■日本時代の文化的影響か
そのためしばしば台湾では、「日本の五十年間の統治を受け、台湾と中国はまったく異なる社会となった」と説明される。
それは事実だろう。
もともと清国の領土だった台湾だが、日本時代の近代化の建設、教育を受け、人も社会も文化も大きく変わった。「漢民族」(中国人)である台湾人が、どのように近代的国民に変わって行ったかは、歴史の本を読めばよくわかる。
そしてそのため日本では、台湾人の善良さや親日ぶりは、日本時代以来のものだとの認識も広がっている。そして、そうした人々を「日本精神」の継承者だと、好意的に評価している。
それもまた事実だろう。「日本精神」は特に戦時中の皇民化運動の中で叫ばれ国民精神のことで、立派な国民になるための「正直」「礼儀」「勤勉」「奉公」等々の精神とも言える。
こうした価値観は主に当時の青年層が身に付け、戦後も台湾人社会を下で支えてきたようだ。
それでは、日本時代以前の台湾人は、中国人と同じような性格、文化だったのだろうか。
■平埔族―知られざる台湾人の先祖
台湾人と深く接する人なら気付いているのではないか。あの善良さは日本時代以前からのものだと。台湾人の優しさは、何も日本時代の教育の影響だけではないと。
山地や東部の原住民(高砂族)を除く台湾人の大部分は「清国時代の漢人移民の子孫」だと、台湾では信じられているし、日本でもそう思われているが、実際にはそんなはずはないということは、最近の台湾での諸研究によって明らかになりつつある。
そもそも台湾の西部の広大な平野にも、平埔族という原住民が住んでいたのだ。その民族の子孫がいなくなることなどあるのか、ということだ。

赤が高砂族居住地で緑が平埔族が居住していた地域。様々な諸族が生活していたのがわかる
DNA調査でもわかってきているが、戦後中国から来た外省人を除けば、台湾人のほとんどが平埔族の血統を継いでいるのである。
たしかに清国時代に漢人移民は流入したが、移民は男に限られ(末期に解禁されるが)、しかも原住民との通婚も禁じられていた。
それでも漢人は子孫は残した。しかしそのほとんどは、平埔族との間に生まれたものである。
そして更に重要なのは、平埔族の多くが漢化(漢民族化)されたということだ。漢化は中国伝統の異民族政策で、満洲人の清国も、それを台湾で実施したのだ。
それで推測できるのが、台湾人の善良な性格は、平埔族のDNAの表れということだ。
■善良な民族だった台湾人の先祖
平埔族は実際に善良な民族だったようだ。

平埔族の生活
清国時代初期の十七世紀末、硫黄調査のため台湾へ派遣された郁永河の手記『裨海記遊』は、平埔族の性格をこう記録している。
「欲望がなく、鼓腹撃壌(太平の世を楽しむ)の遺風がある」
今日の台湾人が無欲とは言わないが、しかし損得関係ないで他人に親切にしたがる彼らの大らか性格に通じるものがあるようだ。
その他の記録を見ても、平埔族は他人を信頼して約束を守り、正直で親切だったようだ。
よく「夜門不閉」(夜も門を閉めない)という言葉で、日本時代の台湾社会の治安の良さが特筆されるが、実はその言葉は十七世紀初めの台湾地理書『東番記』にも見えるのである。平埔族の社会には、相互信頼に基づく、しっかりとした秩序が確立されていたのだろう。
こうした平埔族の民族性が、今日の台湾人に受け継がれているとは言えないだろうか。
■漢人に騙され続けた台湾人
しかしこのような平埔族の純朴、善良な性格は、清国時代に仇となる。
漢人移民は、平埔族が土地所有の観念を持たず、そして人を疑わないその正直さに目を付け、それを侮り、様々な詐術で土地を奪い取っている。

平埔族の鹿狩り。しかしこうした生活空間も漢人に奪わ
れて行った
かくして平埔族は生活空間を大きく狭められ、落後して行った。もちろん時には反抗は見せたが、その都度残忍な鎮圧を受けた。路頭に迷った彼らは、漢人のいない土地を求めてさまよい続け、あるいは漢化を受けて、自ら平埔族であることを忘れて行った。
漢化が進んだのは、そうすることで税や労役が軽減されたからだ、そこには彼らに植え付けられた、漢人に対する劣等感も大きく働いたようだ。
しかしだからと言って、純朴、正直な気風が簡単に失われた訳ではないだろう。
そう言えば、終戦後に国民党が台湾を支配した当初、やはり人を信じる台湾人の正直さが仇となり、中国人に散々愚弄された。
象徴的な話は二・二八事件だ。中国人の搾取、略奪に耐えかねた台湾人は暴動を起こしたが、援軍を待つ国民党当局の自治実現の約束を信用して秩序の維持を図ったところ、間もなく上陸した中国軍の虐殺、粛清を受けた。「自分は悪い事をしていない」との思いで逃げることをせず、捕えられて殺された人も少なくない。

二・二八事件。多くの罪のない台湾人が中国軍に殺された
これについては、日本教育で「正直」さを叩きこまれたことが生んだ悲劇と言われるが、私には漢人移民に騙された平埔族の姿と彼らが重なってならない。
■危機に直面する善良な人々の国
九〇年代の台湾の民主化は、台湾人が四百年来の外来政権支配からの初めての脱却を意味した。そしてそれまでの国民党独裁下の人治社会が法治社会に見事転換できたのは、日本時代に身に付けた遵法精神が死んでいなかったからだ。
中国人と異なる台湾人の価値観は社会で健在だったのである。
外省人といわれる人々も、二世、三世となれば中国人よりも台湾人に近く、心の温かな人が多い。台湾人は国民党独裁化で中国人への同化を強要されたが、実際には外省人が台湾人社会で同化されたと言えなくもない。
しかし、この善良な人々の国が今、大変な危機に直面している。
総統選挙中に国民党の馬英九(中国人)の「台湾優先」の公約を信じて票を入れた台湾人の多くは、台湾の生存を脅かしかねない現在の馬英九政権の中国傾斜政策を見て、騙されたと悔やんでいるところだ。
■中国という災難―台湾を応援しなくていいか
もしこのまま台湾が中国に併呑されれば、待っているのは悲劇である。
狡猾極まりないあの国は必ず、善良で正直な台湾人を騙し、愚弄し、そしてその多くを迫害することだろう。実際にそうした詐術は、台湾人取込みのために、すでに行使されている。現在の台中交流の呼び掛けなどはそれだ。衣の下の鎧が見えているではないか。
台湾が中国の隣に位置する限り、歴史は何度も繰り返されるということか。
日本人は、大災害に見舞われた日本を救援のために立ち上がった、台湾の人々の友情を忘れてはならないし、その恩に報いなければならない。
今まさに中国という災難に見舞われつつある台湾に、我々は無関心でいていいのかということだ。
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台湾へ出かけて台湾好きになる日本人が多いが、その最大の理由は、台湾人の心の温かさではないだろうか。私もそうした一人で、つねづねそれに感動している。
また、現地に行かずとも、日本の被災地への支援ぶりを見て、台湾ファンになった人も大勢いる。
それに比べて中国人には、他人に冷たく、人を騙すという印象が強い。その上、反理性的な反日姿勢も際立って見える。
そのため「同じ中国人なのに、なぜ台湾人はこうも違うのか」という声がよく聞かれる。だがその回答は「台湾人は中国人ではない」に尽きる。

どうして台湾と中国は大きく異なるのか
人の心も社会の価値観も、台湾と中国とはどうして大きく違うのか。これは今日の社会制度の異なり以前の問題だろう。なぜなら終戦直後から、今日のような両者の文化の違いは歴然としていた。
■日本時代の文化的影響か
そのためしばしば台湾では、「日本の五十年間の統治を受け、台湾と中国はまったく異なる社会となった」と説明される。
それは事実だろう。
もともと清国の領土だった台湾だが、日本時代の近代化の建設、教育を受け、人も社会も文化も大きく変わった。「漢民族」(中国人)である台湾人が、どのように近代的国民に変わって行ったかは、歴史の本を読めばよくわかる。
そしてそのため日本では、台湾人の善良さや親日ぶりは、日本時代以来のものだとの認識も広がっている。そして、そうした人々を「日本精神」の継承者だと、好意的に評価している。
それもまた事実だろう。「日本精神」は特に戦時中の皇民化運動の中で叫ばれ国民精神のことで、立派な国民になるための「正直」「礼儀」「勤勉」「奉公」等々の精神とも言える。
こうした価値観は主に当時の青年層が身に付け、戦後も台湾人社会を下で支えてきたようだ。
それでは、日本時代以前の台湾人は、中国人と同じような性格、文化だったのだろうか。
■平埔族―知られざる台湾人の先祖
台湾人と深く接する人なら気付いているのではないか。あの善良さは日本時代以前からのものだと。台湾人の優しさは、何も日本時代の教育の影響だけではないと。
山地や東部の原住民(高砂族)を除く台湾人の大部分は「清国時代の漢人移民の子孫」だと、台湾では信じられているし、日本でもそう思われているが、実際にはそんなはずはないということは、最近の台湾での諸研究によって明らかになりつつある。
そもそも台湾の西部の広大な平野にも、平埔族という原住民が住んでいたのだ。その民族の子孫がいなくなることなどあるのか、ということだ。

赤が高砂族居住地で緑が平埔族が居住していた地域。様々な諸族が生活していたのがわかる
DNA調査でもわかってきているが、戦後中国から来た外省人を除けば、台湾人のほとんどが平埔族の血統を継いでいるのである。
たしかに清国時代に漢人移民は流入したが、移民は男に限られ(末期に解禁されるが)、しかも原住民との通婚も禁じられていた。
それでも漢人は子孫は残した。しかしそのほとんどは、平埔族との間に生まれたものである。
そして更に重要なのは、平埔族の多くが漢化(漢民族化)されたということだ。漢化は中国伝統の異民族政策で、満洲人の清国も、それを台湾で実施したのだ。
それで推測できるのが、台湾人の善良な性格は、平埔族のDNAの表れということだ。
■善良な民族だった台湾人の先祖
平埔族は実際に善良な民族だったようだ。

平埔族の生活
清国時代初期の十七世紀末、硫黄調査のため台湾へ派遣された郁永河の手記『裨海記遊』は、平埔族の性格をこう記録している。
「欲望がなく、鼓腹撃壌(太平の世を楽しむ)の遺風がある」
今日の台湾人が無欲とは言わないが、しかし損得関係ないで他人に親切にしたがる彼らの大らか性格に通じるものがあるようだ。
その他の記録を見ても、平埔族は他人を信頼して約束を守り、正直で親切だったようだ。
よく「夜門不閉」(夜も門を閉めない)という言葉で、日本時代の台湾社会の治安の良さが特筆されるが、実はその言葉は十七世紀初めの台湾地理書『東番記』にも見えるのである。平埔族の社会には、相互信頼に基づく、しっかりとした秩序が確立されていたのだろう。
こうした平埔族の民族性が、今日の台湾人に受け継がれているとは言えないだろうか。
■漢人に騙され続けた台湾人
しかしこのような平埔族の純朴、善良な性格は、清国時代に仇となる。
漢人移民は、平埔族が土地所有の観念を持たず、そして人を疑わないその正直さに目を付け、それを侮り、様々な詐術で土地を奪い取っている。

平埔族の鹿狩り。しかしこうした生活空間も漢人に奪わ
れて行った
かくして平埔族は生活空間を大きく狭められ、落後して行った。もちろん時には反抗は見せたが、その都度残忍な鎮圧を受けた。路頭に迷った彼らは、漢人のいない土地を求めてさまよい続け、あるいは漢化を受けて、自ら平埔族であることを忘れて行った。
漢化が進んだのは、そうすることで税や労役が軽減されたからだ、そこには彼らに植え付けられた、漢人に対する劣等感も大きく働いたようだ。
しかしだからと言って、純朴、正直な気風が簡単に失われた訳ではないだろう。
そう言えば、終戦後に国民党が台湾を支配した当初、やはり人を信じる台湾人の正直さが仇となり、中国人に散々愚弄された。
象徴的な話は二・二八事件だ。中国人の搾取、略奪に耐えかねた台湾人は暴動を起こしたが、援軍を待つ国民党当局の自治実現の約束を信用して秩序の維持を図ったところ、間もなく上陸した中国軍の虐殺、粛清を受けた。「自分は悪い事をしていない」との思いで逃げることをせず、捕えられて殺された人も少なくない。

二・二八事件。多くの罪のない台湾人が中国軍に殺された
これについては、日本教育で「正直」さを叩きこまれたことが生んだ悲劇と言われるが、私には漢人移民に騙された平埔族の姿と彼らが重なってならない。
■危機に直面する善良な人々の国
九〇年代の台湾の民主化は、台湾人が四百年来の外来政権支配からの初めての脱却を意味した。そしてそれまでの国民党独裁下の人治社会が法治社会に見事転換できたのは、日本時代に身に付けた遵法精神が死んでいなかったからだ。
中国人と異なる台湾人の価値観は社会で健在だったのである。
外省人といわれる人々も、二世、三世となれば中国人よりも台湾人に近く、心の温かな人が多い。台湾人は国民党独裁化で中国人への同化を強要されたが、実際には外省人が台湾人社会で同化されたと言えなくもない。
しかし、この善良な人々の国が今、大変な危機に直面している。
総統選挙中に国民党の馬英九(中国人)の「台湾優先」の公約を信じて票を入れた台湾人の多くは、台湾の生存を脅かしかねない現在の馬英九政権の中国傾斜政策を見て、騙されたと悔やんでいるところだ。
■中国という災難―台湾を応援しなくていいか
もしこのまま台湾が中国に併呑されれば、待っているのは悲劇である。
狡猾極まりないあの国は必ず、善良で正直な台湾人を騙し、愚弄し、そしてその多くを迫害することだろう。実際にそうした詐術は、台湾人取込みのために、すでに行使されている。現在の台中交流の呼び掛けなどはそれだ。衣の下の鎧が見えているではないか。
台湾が中国の隣に位置する限り、歴史は何度も繰り返されるということか。
日本人は、大災害に見舞われた日本を救援のために立ち上がった、台湾の人々の友情を忘れてはならないし、その恩に報いなければならない。
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