1969「尖閣」地図問題ー中国の反論は通用しない
2015/03/19/Thu
■外交部報道官「地図を見ていない」
中国政府が尖閣諸島をまだ日本領土と認めていた一九六九年に発行し、同諸島を日本語名の「尖閣群島」とし、島名も同じく「魚釣島」「北小島」と表記した地図を、我が外務省が三月十六日にウェブサイトに掲載。「中国が最初に発見し、釣魚島と命名し、利用した」として「釣魚島は中国固有の領土」と断じる今日の主張(宣伝)を覆された格好の中国外交部の反応や如何に。

外務省HPが公表した1969年の中国政府発行の地図。日本名「尖閣群島」とあるのは、当時日本領土と認めていた証拠だ
十七日の同部の定例記者会見で「日本の外務省が公表した中国発行の地図には“尖閣群島”と表記されている。中国はこれに対して何か論評はあるか」と聞かれた洪磊副報道局長は、次のように応じた。
―――私はあなたの言うところの地図を見ていない。しかし私はあなたに教えよう。釣魚島及びその付属島嶼は中国の固有領土であり、これは否定できない事実であって、充分な歴史、法律的な根拠を備えている。
「地図について語りたくない」と言うのが本音だろう。「地図を見ていない」というのはあり得ない。なぜならすでに六日の段階で、同部報道官(氏名不詳)はこの地図に関して香港紙文匯報の取材を受けている。
ちなみにその報道官も上と全く同じコメントで、「日本がバラバラの材料を持ち出し、この事実を否定しようと企図しても意味がない」と付け加え、強がって見せた。
■「ハッタリ」が中国宣伝戦の「凄さ」であり「脆さ」
洪磊氏もこの日、それと同様の強がりを見せた。語気を強めてこう話している。
―――この歴史的事実は、断じて一部の者たちが徒に一、二枚の地図を持ち出すことでひっくり返される物ではない。もしあなたが求めるなら、私は明確に釣魚島は中国に帰属する地図を百枚、いや千枚でも探し出すことができる。
要するに、一九六九年以前にも、尖閣を中国領土と記載する古今東西の地図は山ほどあると言っている訳だが、中国が「中国固有の領土」である証拠として持ち出している古今東西の地図は百枚もないだろう。しかも実際にはそのほとんどが尖閣を中国領土としていない。
それでありながらも、「千枚」を見せることができると豪語してしまうところに、あの国の宣伝戦の凄まじさを見る思いだ。

17日の記者会見で見られたのは、中国の虚構宣伝の「凄さ」と「脆さ」だ
しかしそれとともに、脆さをも見て取ることができる。「千枚を見せて」と要求されたらどうするのか。
■翌日の記者会見で中国外交部が反撃開始
脆さと言えば、この時洪磊氏が、一九六九年の地図がなぜ「尖閣群島」を表記したかという一番重要な点に触れられないでいるのもそれだ。
「地図は見ていない」として逃げるだけで、自ら中国に不利だということを告白したに等しい。
しかしそれではまずいと思ったのか。洪磊氏は翌十八日の記者会見で、再びこの地図について論じた。反撃の開始である。
「昨日あなたは釣魚島の地図に対して初歩的な反応を見せたが、今日は何か補足があるか」と質問されると(質問させると?)、先ずはこう前置きした。
――― 一九六九年のその地図が語るのは二つの問題だ。一つ目は釣魚島が中国の一部であると証明している。具体的に言えば、台湾の一部であると。二つ目は日本が台湾を侵略、占領し、釣魚島を盗み取ったという歴史的事実を反映している。
そしてその上で、このように論じたのである。
―――この地図は「中華人民共和国分省(省別)地図」の中の「福建省・台湾省」の部分。福建省と台湾省の管轄地域を完全に示すため、特に福建省北部、台湾省南部、そして釣魚島及びその付属島嶼という三地域を地図の枠内からはみ出す形で表示した。これは釣魚島が中国の一部であると十分有力に証明するものだ。
たしかに地図は尖閣諸島の位置をすべて示すべく、地図の枠からはみ出させて表示している。

確かに尖閣諸島は枠からはみ出している
■「尖閣群島」との表記は「殖民統治」の名残だとか
―――中国は釣魚島を最も早く発見し、長期にわたって有効に管轄していた。早くも明、清代の多くの中国地図には明確に釣魚島が表示されている。甲午戦争(日清戦争)以前の西洋の地図にも釣魚島の名称が見え、そして明確に中国に帰属していると表示している。
中国はこのように様々な事実捏造、印象操作を繰り返すが、ここで言う「西洋の地図」を含め、明、清時代における「有効に管轄」(実効支配)を事実と示す証拠はいまだに見つかっていない。
―――甲午戦争後、日本は釣魚島を含む台湾及びその付属島嶼を長期間殖民統治した。地図上の釣魚島の地名の変化もそれと関係する。第二次世界大戦の終結後の国際法文書に照らせば、釣魚島は中国に返還された。日本の殖民過程が地図に反映されても、釣魚島が中国に帰属するとの事実をいささかも変えることはできない。
「国際法文書」(カイロ宣言など)云々もでっち上げだ。尖閣が「台湾の付属島嶼」だった証拠と言える物もいまだにない。
しかしそれはともかく、ここで注目すべきはなぜ一九六九年の地図に「尖閣群島」の名が記されたかだ。
洪磊氏は日本の尖閣に対する「殖民統治」の名残だ、と説明した。
■中国領土とする意思が芽生えていたか
ところで話は戻るが、地図の枠からはみ出させても尖閣諸島全域を表記したのはなぜか。わざわざそうしたのは、やはり同諸島を中国領土と位置付けていたからなのだろうか。
その可能性は排除できない。これはあくまで私の想像だが、一九六九年の段階で中国政府には、自国領と位置付けたいとの意思が芽生えていたかも知れない。
それというのも、その年五月、日本、台湾(国府)、韓国の専門家を中心とした国連アジア極東経済委員会が海洋調査の結果として、東支那海での石油埋蔵の可能性が指摘され、それを受け国府と中国は、一九七一年から正式に尖閣諸島の領有権を主張し始めた訳だが、実際に国府は調査結果発表の前からすでに領有権主張の準備に着手しており、一九六九年七月には「我が大陸棚の資源の探査と開発における主権行使声明」を発している(大陸棚には尖閣を含むとした)。
このように尖閣を中国領土と主張する国府の動きを見た中国は、喜んでそれに呼応しようとしたはずだ。
そしてその結果、尖閣をとりあえず中国領として組み込んだのが、この地図ではなかったか。繰り返すが、これはあくまで推測である。
はっきりしているのは中が一九七一年まで、日本(琉球政府)の「尖閣群島」支配に対し、何の異議も唱えていないことである。
■さらに暴くべき中国の宣伝の虚構
そして地図が「尖閣群島」の名を用いるのも、当時はまだそこを日本領土と見ていた証以外の何物でもないと思う。「尖閣」の名を用いた中国政府の地図、刊行物は他にもあるのだ。
日本の「殖民統治」時代の名称を戦後も誤用し続けたと言うが、そのような釈明は通用しないと思う。そのような初歩的ミスを延々と繰り返すだろうかということだ。

日本への反撃に出た18日の会見だが…
しかし通用しない釈明でも、口数を以って通用させてしまおうというのが、あの国の宣伝戦の侮り難いところなのだ。今回の洪磊氏の「口数」を見よ。尖閣問題に関する知識のない人間(あるいは国家)は、簡単に騙されてしまう。
そこで我が政府は今後も様々な証拠を提示しながら、「尖閣諸島が日本に帰属するとの事実は変わらない」と強調しなければならない。
それから中国側が提示する古今東西の地図が、実は尖閣の中国帰属を証明していないことも含む宣伝の虚構を国際社会の前で暴いていかなくてはならない。
こうしたことが我が国の遂行すべき宣伝戦の在り方である。
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中国政府が尖閣諸島をまだ日本領土と認めていた一九六九年に発行し、同諸島を日本語名の「尖閣群島」とし、島名も同じく「魚釣島」「北小島」と表記した地図を、我が外務省が三月十六日にウェブサイトに掲載。「中国が最初に発見し、釣魚島と命名し、利用した」として「釣魚島は中国固有の領土」と断じる今日の主張(宣伝)を覆された格好の中国外交部の反応や如何に。

外務省HPが公表した1969年の中国政府発行の地図。日本名「尖閣群島」とあるのは、当時日本領土と認めていた証拠だ
十七日の同部の定例記者会見で「日本の外務省が公表した中国発行の地図には“尖閣群島”と表記されている。中国はこれに対して何か論評はあるか」と聞かれた洪磊副報道局長は、次のように応じた。
―――私はあなたの言うところの地図を見ていない。しかし私はあなたに教えよう。釣魚島及びその付属島嶼は中国の固有領土であり、これは否定できない事実であって、充分な歴史、法律的な根拠を備えている。
「地図について語りたくない」と言うのが本音だろう。「地図を見ていない」というのはあり得ない。なぜならすでに六日の段階で、同部報道官(氏名不詳)はこの地図に関して香港紙文匯報の取材を受けている。
ちなみにその報道官も上と全く同じコメントで、「日本がバラバラの材料を持ち出し、この事実を否定しようと企図しても意味がない」と付け加え、強がって見せた。
■「ハッタリ」が中国宣伝戦の「凄さ」であり「脆さ」
洪磊氏もこの日、それと同様の強がりを見せた。語気を強めてこう話している。
―――この歴史的事実は、断じて一部の者たちが徒に一、二枚の地図を持ち出すことでひっくり返される物ではない。もしあなたが求めるなら、私は明確に釣魚島は中国に帰属する地図を百枚、いや千枚でも探し出すことができる。
要するに、一九六九年以前にも、尖閣を中国領土と記載する古今東西の地図は山ほどあると言っている訳だが、中国が「中国固有の領土」である証拠として持ち出している古今東西の地図は百枚もないだろう。しかも実際にはそのほとんどが尖閣を中国領土としていない。
それでありながらも、「千枚」を見せることができると豪語してしまうところに、あの国の宣伝戦の凄まじさを見る思いだ。

17日の記者会見で見られたのは、中国の虚構宣伝の「凄さ」と「脆さ」だ
しかしそれとともに、脆さをも見て取ることができる。「千枚を見せて」と要求されたらどうするのか。
■翌日の記者会見で中国外交部が反撃開始
脆さと言えば、この時洪磊氏が、一九六九年の地図がなぜ「尖閣群島」を表記したかという一番重要な点に触れられないでいるのもそれだ。
「地図は見ていない」として逃げるだけで、自ら中国に不利だということを告白したに等しい。
しかしそれではまずいと思ったのか。洪磊氏は翌十八日の記者会見で、再びこの地図について論じた。反撃の開始である。
「昨日あなたは釣魚島の地図に対して初歩的な反応を見せたが、今日は何か補足があるか」と質問されると(質問させると?)、先ずはこう前置きした。
――― 一九六九年のその地図が語るのは二つの問題だ。一つ目は釣魚島が中国の一部であると証明している。具体的に言えば、台湾の一部であると。二つ目は日本が台湾を侵略、占領し、釣魚島を盗み取ったという歴史的事実を反映している。
そしてその上で、このように論じたのである。
―――この地図は「中華人民共和国分省(省別)地図」の中の「福建省・台湾省」の部分。福建省と台湾省の管轄地域を完全に示すため、特に福建省北部、台湾省南部、そして釣魚島及びその付属島嶼という三地域を地図の枠内からはみ出す形で表示した。これは釣魚島が中国の一部であると十分有力に証明するものだ。
たしかに地図は尖閣諸島の位置をすべて示すべく、地図の枠からはみ出させて表示している。

確かに尖閣諸島は枠からはみ出している
■「尖閣群島」との表記は「殖民統治」の名残だとか
―――中国は釣魚島を最も早く発見し、長期にわたって有効に管轄していた。早くも明、清代の多くの中国地図には明確に釣魚島が表示されている。甲午戦争(日清戦争)以前の西洋の地図にも釣魚島の名称が見え、そして明確に中国に帰属していると表示している。
中国はこのように様々な事実捏造、印象操作を繰り返すが、ここで言う「西洋の地図」を含め、明、清時代における「有効に管轄」(実効支配)を事実と示す証拠はいまだに見つかっていない。
―――甲午戦争後、日本は釣魚島を含む台湾及びその付属島嶼を長期間殖民統治した。地図上の釣魚島の地名の変化もそれと関係する。第二次世界大戦の終結後の国際法文書に照らせば、釣魚島は中国に返還された。日本の殖民過程が地図に反映されても、釣魚島が中国に帰属するとの事実をいささかも変えることはできない。
「国際法文書」(カイロ宣言など)云々もでっち上げだ。尖閣が「台湾の付属島嶼」だった証拠と言える物もいまだにない。
しかしそれはともかく、ここで注目すべきはなぜ一九六九年の地図に「尖閣群島」の名が記されたかだ。
洪磊氏は日本の尖閣に対する「殖民統治」の名残だ、と説明した。
■中国領土とする意思が芽生えていたか
ところで話は戻るが、地図の枠からはみ出させても尖閣諸島全域を表記したのはなぜか。わざわざそうしたのは、やはり同諸島を中国領土と位置付けていたからなのだろうか。
その可能性は排除できない。これはあくまで私の想像だが、一九六九年の段階で中国政府には、自国領と位置付けたいとの意思が芽生えていたかも知れない。
それというのも、その年五月、日本、台湾(国府)、韓国の専門家を中心とした国連アジア極東経済委員会が海洋調査の結果として、東支那海での石油埋蔵の可能性が指摘され、それを受け国府と中国は、一九七一年から正式に尖閣諸島の領有権を主張し始めた訳だが、実際に国府は調査結果発表の前からすでに領有権主張の準備に着手しており、一九六九年七月には「我が大陸棚の資源の探査と開発における主権行使声明」を発している(大陸棚には尖閣を含むとした)。
このように尖閣を中国領土と主張する国府の動きを見た中国は、喜んでそれに呼応しようとしたはずだ。
そしてその結果、尖閣をとりあえず中国領として組み込んだのが、この地図ではなかったか。繰り返すが、これはあくまで推測である。
はっきりしているのは中が一九七一年まで、日本(琉球政府)の「尖閣群島」支配に対し、何の異議も唱えていないことである。
■さらに暴くべき中国の宣伝の虚構
そして地図が「尖閣群島」の名を用いるのも、当時はまだそこを日本領土と見ていた証以外の何物でもないと思う。「尖閣」の名を用いた中国政府の地図、刊行物は他にもあるのだ。
日本の「殖民統治」時代の名称を戦後も誤用し続けたと言うが、そのような釈明は通用しないと思う。そのような初歩的ミスを延々と繰り返すだろうかということだ。

日本への反撃に出た18日の会見だが…
しかし通用しない釈明でも、口数を以って通用させてしまおうというのが、あの国の宣伝戦の侮り難いところなのだ。今回の洪磊氏の「口数」を見よ。尖閣問題に関する知識のない人間(あるいは国家)は、簡単に騙されてしまう。
そこで我が政府は今後も様々な証拠を提示しながら、「尖閣諸島が日本に帰属するとの事実は変わらない」と強調しなければならない。
それから中国側が提示する古今東西の地図が、実は尖閣の中国帰属を証明していないことも含む宣伝の虚構を国際社会の前で暴いていかなくてはならない。
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