日米VS 中国の対峙構造は終焉へ向かうのか
2007/12/06/Thu
米国は戦後、中国共産主義勢力の西太平洋への伸張を防ぐため、何が何でも台湾を防衛してきたが、一九七九年、その台湾と断交して中国と国交を樹立したのがカーター大統領だった。当時米議会にとって同大統領の「台湾切捨て」「中国への寝返り」は寝耳に水で、そこでただちに制定したのが台湾への防衛性の武器売却の継続を定める台湾関係法だった。当初カーターはこの法律の制定に反対したが、その後中国軍がベトナムに侵攻し、それに米世論が反発したため、結局この法律を承認したともされている。
そのため今日でも中国は、米国の対台湾武器売却を許しがたく、それを停止するよう強硬に要求し続けている。
ところが十二月五日に北京で開かれた米中国交樹立二十九年の記念行事に参加したカーターは、「当時に関する公の資料はすべて公開されたが、まだそれ以外の物語がある」として、当時の自分の日記を朗読し、小平が米国の台湾への武器売却の継続を非公式に認めていたことを明らかにしたのだ。
朗読した日記には「彼は台湾問題は平和的に解決されるべきだとする我々の主張に同意した。我々が(米華相互防衛)条約の期限が切れた後も、台湾への防衛性兵器の売却継続を了解した」「公開の場では、彼らは反対を表明するが、指摘には米国がこのようにすることを認可した」とあった。
カーターは「一九七八年十二月十四日、小平副総理は突然我々の建議を受け入れた。さらなる要求はなかった」と語っている。かくして米中は無事、外交関係を結んだのだった。
近代化で富国強兵を目指す小平にとり、米国との国交樹立と交流は、何としてでも必要だ。もちろんソ連やベトナムに対抗するためにもだ。そもそも当時の軍事力では、台湾併合は夢の夢だから、米国は勝手に台湾に兵器を売っていればいいと思っていたのかも知れない。少なくとも米国に中国攻撃の意思がない限り、台湾軍は中国にとっては脅威ではなかった。また、国際社会で孤立する台湾がそのうちいずれ中国統一に応じてくるとの計算もあっただろう(当時、米政府はそのように見ていたようだ)。
ところがそれから二十九年後の今日、中国の態度はまったく違ったものとなっている。九〇年代に入ると台湾は民主化を通じて台湾人の国となり、統一の目標を放棄してしまったのだから黙っていられなくなった。そこでちょうど冷戦が終わり、中国軍も攻撃目標をソ連から台湾へと切り替えることとなった。そして改革開放による経済成長を基盤に軍備の増強も進み、米軍の介入を防いで台湾に攻撃を仕掛ける体勢も整いつつある。
そしてさらには、「祖国を統一して中華を振興する」の民族主義的スローガンでも掲げない限りは、人民が政権の下でまとまらないと言う深刻な状況もある。
このように見ると、小平の「穏やかな時代」が懐かしくなってくるが、実際には日米など外国資本を呼び込んでまずは経済基盤を確立し、そのあとで米国と対峙して「中華振興」を進めると言うのは小平自身の長期的な国家戦略だった。
中国人の先の先を見据えた長期戦略は、米国にも日本にも到底真似のできるものではない。今頃カーターが昔の日記を持ち出したところで、手遅れだ。
日本ではあまり指摘されないことだが、戦後の米国(日米)と中国の対峙関係は、つねに台湾を基軸にしてきた。そうしたなかで二十九年前はまさに東アジア情勢の大きな分岐点だったわけだが、油断して中国に接近した米国が、すっかりその国に騙されてしまったわけだ。
もはや米国には、台湾防衛で中国と対峙する気力は、かつてほどは見られない。よって台湾が中国の影響下に転がり込んでいく可能性は年々高まっているように見える。
一方、そうなれば本当に困るのは米国以上に日本であるが、こちらに至っては、中国の急速な擡頭に慌てて安倍政権が、ようやく「自由と繁栄の弧」と言う外交新機軸を打ち出したかと思ったら、福田政権に変わった途端に擡頭する中国との摩擦を避けるため、東アジア共同体の構築などを言い出しているから、対中国ではほとんどその場しのぎで、戦略と言うものがほとんど見えず、中国には手も足も出ない状況だ。
台湾を巡る日米VS中国の対峙構造も、いよいよ終焉するかも知れない。そしてそのときは米国は中国とは太平洋で勢力範囲を区分けして、両国の共存を図るのだろう。日台はもちろん、中国主宰の東アジア・西太平洋における新秩序の下に入ることとなる。
このような予測は米国内からは出ているし、中国も現実にそれを目指しているのだ。この国の「祖国統一・中華振興」のスローガンこそ、それである。そしてそのような事態をほとんど考えていないのが日本なのだ。
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そのため今日でも中国は、米国の対台湾武器売却を許しがたく、それを停止するよう強硬に要求し続けている。
ところが十二月五日に北京で開かれた米中国交樹立二十九年の記念行事に参加したカーターは、「当時に関する公の資料はすべて公開されたが、まだそれ以外の物語がある」として、当時の自分の日記を朗読し、小平が米国の台湾への武器売却の継続を非公式に認めていたことを明らかにしたのだ。
朗読した日記には「彼は台湾問題は平和的に解決されるべきだとする我々の主張に同意した。我々が(米華相互防衛)条約の期限が切れた後も、台湾への防衛性兵器の売却継続を了解した」「公開の場では、彼らは反対を表明するが、指摘には米国がこのようにすることを認可した」とあった。
カーターは「一九七八年十二月十四日、小平副総理は突然我々の建議を受け入れた。さらなる要求はなかった」と語っている。かくして米中は無事、外交関係を結んだのだった。
近代化で富国強兵を目指す小平にとり、米国との国交樹立と交流は、何としてでも必要だ。もちろんソ連やベトナムに対抗するためにもだ。そもそも当時の軍事力では、台湾併合は夢の夢だから、米国は勝手に台湾に兵器を売っていればいいと思っていたのかも知れない。少なくとも米国に中国攻撃の意思がない限り、台湾軍は中国にとっては脅威ではなかった。また、国際社会で孤立する台湾がそのうちいずれ中国統一に応じてくるとの計算もあっただろう(当時、米政府はそのように見ていたようだ)。
ところがそれから二十九年後の今日、中国の態度はまったく違ったものとなっている。九〇年代に入ると台湾は民主化を通じて台湾人の国となり、統一の目標を放棄してしまったのだから黙っていられなくなった。そこでちょうど冷戦が終わり、中国軍も攻撃目標をソ連から台湾へと切り替えることとなった。そして改革開放による経済成長を基盤に軍備の増強も進み、米軍の介入を防いで台湾に攻撃を仕掛ける体勢も整いつつある。
そしてさらには、「祖国を統一して中華を振興する」の民族主義的スローガンでも掲げない限りは、人民が政権の下でまとまらないと言う深刻な状況もある。
このように見ると、小平の「穏やかな時代」が懐かしくなってくるが、実際には日米など外国資本を呼び込んでまずは経済基盤を確立し、そのあとで米国と対峙して「中華振興」を進めると言うのは小平自身の長期的な国家戦略だった。
中国人の先の先を見据えた長期戦略は、米国にも日本にも到底真似のできるものではない。今頃カーターが昔の日記を持ち出したところで、手遅れだ。
日本ではあまり指摘されないことだが、戦後の米国(日米)と中国の対峙関係は、つねに台湾を基軸にしてきた。そうしたなかで二十九年前はまさに東アジア情勢の大きな分岐点だったわけだが、油断して中国に接近した米国が、すっかりその国に騙されてしまったわけだ。
もはや米国には、台湾防衛で中国と対峙する気力は、かつてほどは見られない。よって台湾が中国の影響下に転がり込んでいく可能性は年々高まっているように見える。
一方、そうなれば本当に困るのは米国以上に日本であるが、こちらに至っては、中国の急速な擡頭に慌てて安倍政権が、ようやく「自由と繁栄の弧」と言う外交新機軸を打ち出したかと思ったら、福田政権に変わった途端に擡頭する中国との摩擦を避けるため、東アジア共同体の構築などを言い出しているから、対中国ではほとんどその場しのぎで、戦略と言うものがほとんど見えず、中国には手も足も出ない状況だ。
台湾を巡る日米VS中国の対峙構造も、いよいよ終焉するかも知れない。そしてそのときは米国は中国とは太平洋で勢力範囲を区分けして、両国の共存を図るのだろう。日台はもちろん、中国主宰の東アジア・西太平洋における新秩序の下に入ることとなる。
このような予測は米国内からは出ているし、中国も現実にそれを目指しているのだ。この国の「祖国統一・中華振興」のスローガンこそ、それである。そしてそのような事態をほとんど考えていないのが日本なのだ。
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