尖閣遠征の記 (附:チャンネル桜の報道番組映像)
2012/08/29/Wed
■宮古島から一路尖閣へ
「頑張れ日本!全国行動委員会」は八月十七日から二十二日にかけ、日本の尖閣諸島に対する実効支配を示すための「第二回尖閣諸島で魚を釣ろう!尖閣諸島集団漁業活動」を実施した。
今回は約百五十名が石垣島、与那国島、宮古島から出航する約二十隻の漁船に乗り込み、魚釣島など各島の周辺海域を巡るとともに、「日本の領土を守るため行動する議員連盟」(会長=山谷えり子参議院議員)などによる魚釣島での疎開船遭難記念碑前での慰霊祭も計画されていたが、政府がその上陸を事前に不許可とし、あるいは十五日に香港の活動家による魚釣島不法上陸事件が発生するなど、領土防衛を願う全国国民が切歯扼腕する中での実施となった。
私もこれに初めて参加。十七日午後一時過ぎ、に現地で総指揮を行う水島総幹事長ら数十名と共に羽田空港を飛び立ち、石垣島に到着。同島ではちょうど、不法上陸の活動家たちの船が罪を問われることなく、香港へ出航するところだった。
十八日午後は島内に立つ遭難事件に犠牲者の慰霊碑前で慰霊祭が営まれたが、それに先立つ昼過ぎ、私を含む六名は宮古島から船に乗り込むため、石垣空港へ向かった。空港では到着したばかりの国会議員たちの姿が見えた。
宮古島へ着くと、一度投宿した後に漁港へ向かった。そこから活動に参加する漁船は六隻。我々六人はそのうち二隻に分かれて乗った。
私が乗り組んだのは拓漁丸である。出航は午後五時半ごろ。目的地点まで距離が長いため、石垣島、与那国島の船より二時間以上早かった。

宮古島での出航前。同行する漁師さんたちと
海はめったのいないほどの穏やかな凪の状態。翌日夜の帰港まで、これに恵まれることになる。
西へと進む船の先には美しい夕日が輝き、それが暮れた後は降るような星空が広がった。

船から夕陽を眺む
甲板でそのようなものを見上げながらうたた寝などをするうち、いつしか東の空が白み出し、前方に南小島、北小島、魚釣島の影が認められ始めた。十九日午前五時より前だったと記憶する。
■神々しき絶海の我が領土
南小島、北小島を見ながら船は一直線に魚釣島へ向かって驀進した。徐々に大きくなる絶海の国土の姿は、それがまさに外国の侵略の脅威を受けているからこそなおさらに、神々しく、そして愛おしく感じられてならなかった。

朝日を浴びる尖閣諸島。右から南小島、北小島

魚釣島を目指し
やがて五時半から六時すぎにかけてのころだろうか、島の南側へ到着。聳える断崖の麓に平らな岸辺が見え、私はそれが集結地点に思えた。
しかし他の漁船の影はない。当初は一番乗りかと思ったが、しかしすでに慰霊祭(上陸はできないため船上で執り行う)が始まってもいい時間だ。
拓漁丸はその周辺であちこちへと移動を繰り返しており、やがては集結地点を見つけるものと思っていたが、六時半ごろだろうか、舳先で島を見詰めていた私は、島の西方向の山の向こうに海保のヘリコプターが慌しく飛び回るのを見つけ、自分たちが地点を誤っていることに気がついた。
それでそのことを船の漁師さんに告げ、その方向へ急行してもらった。
漁船団の主力は石垣島からのもので、その無線の周波数を拓漁丸は聞いておらず、交信をできずにいた。そのため集結地点での状況はまったくわからなかった。ヘリが旋回するのは、上陸が行われたためではないかと思った。
実は私は前日、石垣島から宮古島へ移動する前、水島幹事長から上陸する意向を聞かされていた。
それは活動を監視する海保には許容することのできない行動である。しかし先日中国人活動家たちに足を踏み入れられながら、日本人の我々が島を目前にして何もできないとあっては、中国に対して誤ったメッセージを送りかねない事態となる。
つまり日本民間の反中勢力の活動など、見せかけだけのパフォーマンスに過ぎないと侮られる危険性があるのだ。もちろん国民に対しても、そうした誤解を与えることだろう。
だから何としてでも実施に移すべきだと感じた。水島氏の話に、私の胸は躍った。
しかしこの計画は漁船の漁師さんたちには行動開始まで伏せるとのことだった。漁船には迷惑をかけかねないため、協力も強要できないと言っていた。
そうした経緯があったため、私は船上で「出遅れた!」と思った。あのときの思いは、何とも形容しがたいものがあった。
■海に飛び込んだ上陸部隊
七時半近くになり、集結地点に到着した。すでに次々と漁船が現場から離脱しており、慰霊祭が終了したことは確かだった。
拓漁丸は水島氏が乗る第一桜丸のところまで直行。船上にいた水島氏に「終わりましたか」と聞くと「そろそろだ」との答えだった。
たしか複数の漁船を海岸の前で横付けにすると聞いていたので、上陸に堪える丈夫な靴に履き替え、指示を待とうと思っていると、第一桜丸ともう一隻から、次々と人が海へ飛び込むのが見えた。七時半過ぎのことである。

陸に向かって泳ぐ上陸部隊
真っ先に飛び込んだ人が、岸辺の岩礁に上がり、そこにロープを縛り付け、人々を誘導した。特殊部隊隊員のような機敏に目を見張った(後にそれが還暦を過ぎた水島氏だったことを知り驚嘆する)。
周囲の船から歓声が上がった。
後方には活動を監視する海保の巡視船が三隻停泊し、空は同じくヘリやジェット機が飛び交う中での緊迫した場面だった。
そうしたなか、漁船は次々と現場を離れて行った。たぶん計画を知らされていなかったためだと思われるが、そのときは無線交信も不能のため、全く状況を判断することができなかった。
しかし前日、水島氏から島で撮影したVTRを海保に没収する前に受け取ってほしいとも言われていたため、その「任務」に徹することとし、漁師さんに受取り用の網を用意してもらい、洋上で待機し続けた。
その間、断崖の上で日の丸が振られるのが見えた。麓の灯台やその近くでも日の丸と何人もの人影が見えた。私は持っていた拡声器で、振られる日の丸に向かって万歳を叫んだ。

灯台付近に集結する上陸者たち
そしてその一方で巡視艦から「軽犯罪法に抵触する恐れがあります。上陸を止めなさい」との警告が発せられ、高速のゴムボートも発進し、海上保安官が上陸者の帰りを待つ二隻の漁船へ乗り込んでいくのが見えた。

上陸地点に接近する海保巡視艦

海上保安官の臨検を受ける第一桜丸
こうした状況のため、VTRの受け取りなどもはや不可能となったが、しかし上陸した英雄たちが帰船するまで見守ることに。一緒に同じところにいなければとの思いがあった。
■対台湾アピールの試み
全員が船に戻ったのを確認し、そして労いの言葉をかけて帰途に就いたのが十時半が過ぎ。上陸行動を夢中になって見守っていたら、あっという間に時間が過ぎていた。
それから間もなくして、巡視艦が我が船を猛スピードで追尾してきた。北小島、南小島に向かうことを警戒したからだと思う。
こうした海保の出動による物々しい空気の中、最後まで現地に残ってくれた拓漁丸には感謝している。その後は活動の大成功を喜びながら、漁師さんや同乗のメンバーと酒を飲み交わすなどした。
なお、私は魚釣島付近で、一つの行動を試みている。
それは島を背景に、「尖閣は間違いなく日本の領土。日台は共に中国に対抗し、東支那海の平和を守ろう」と漢文で書いたプラカードを広げた写真を撮り、あるいは動画を撮影し、それらを台湾の人々に見せることだった。
現在中国は台湾を取り込み、尖閣問題で歩調を合わせると言う台中提携、日台分断の工作を推進しているわけだから、日本もまた台湾を取り込み、反中国で連帯する努力をしなければならないはずである。
それではこうした面で日本に勝機があるかと言えば、十分にある。そもそも台湾の国民は、心情的には親日反中。尖閣が日本領土であることを理解するだけの理性も備わっているし、すでにそうした認識は広まりつつある。尖閣が中国に奪取されれば、日本だけではなく台湾もまた危険だということも理解している。
そこでこうしたささやかなアピールを行ってみたのだ。

台湾国民に向け、尖閣が日本領であることと、中国への共同対抗を訴えた
写真と動画をネットで公開したところ、予想以上に賛同の声、共感の声があの国の若者たちから寄せられた。
さて、拓漁丸が宮古島へ戻ったのは午後十時だった。そこでは地元の警察官が事情聴取のため、待ち構えていた。すでに上陸の模様はマスコミによって大々的に報じられていることも知った。
■大戦果と呼ぶべし
二十日は午前中から、漁師さんの案内で宮古島を見物した。ほんとうに海の美しい島だった。そこで特に感動したのは島の五勇士の記念碑を参観できたことだった。

宮古島の五勇士の日の前で国防の決意を新たに
日露戦争中、手漕ぎの船で通信施設の石垣島までの百七十キロを十五時間で渡り、バルチック艦隊北上の報を届けた五人の若者を記念するものだ。漁師さんに聞いたが、これは普通にはとてもできることではないらしい。
しかしこうした愛国の至情こそは、「二十一世紀のバルチック艦隊」(中国軍事力の海洋進出)に直面する今日の国民が仰ぐべきものである。
もっとも今回の尖閣での活動にしても、参加した国民一人一人の愛国心が結集して成し遂げられたものだった。
この日は宿でテレビ各局の報道を見たが、日頃は尖閣購入計画にすら批判を加えてきた媚中メディアも、今回はどれもが上陸を批判しきれないばかりか、逆に領土問題で無為無策の政府を叱る論調が目立ったのは、上陸を是とする視聴者、世論の反映だろう。要するにこの活動は、メディアの姿勢をも変えてしまったのだ。
またこの活動の成功を受け、中国で反日デモが拡大したのには、こうした日本国民の目覚めに手も足も出せないでいる自国政府に不満を募らせたからだと言う側面もある。あの国にはしっかりと、日本国民の気概を見せつけることに成功したのだ。
これは大戦果と言えるだろう。我々は明らかに「戦った」のだ。この一文を「遠征記」とする所以である。
二十一日午後、宮古島空港を発って那覇空港に到着。そこで石垣島、与那国島からのグループと再び合流し、無事に内地へと戻ったのである。
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チャンネル桜報道番組
【緊急特番】守るぞ日本 守るぞ尖閣 Part5[桜H24/8/25]
SakuraSoTV さんが 2012/08/25 に公開
尖閣諸島に不法上陸した香港の活動家らを強制送還とするなど、日本政府による弱腰外交は底知れぬ様相を呈している。そんな中、「領土議連」所属の国会議員も参加し、戦時疎¬開中に遭難した先人達のための慰霊祭も行うことで、尖閣諸島が日本の領土であることを改めて内外に示した集団漁業活動(8月19日)の様子や、政府の姿勢への抗議として有¬志10名が魚釣島に上陸した際の模様などについてお送りします!
出演:
浅野久美(「桜プロジェクト」キャスター)
イリハム・マハムティ(日本ウイグル協会会長・世界ウイグル会議東アジア地区副総裁)
こいそ明(東京都議会議員)
小坂英二(東京都荒川区議会議員)
鈴木章浩(東京都議会議員)
永山英樹(台湾研究フォーラム会長・日本李登輝友の会理事 台湾正名推進本部長)
松浦芳子(東京都杉並区議会議員・草莽全国地方議員の会代表)
山本浩一(フォトジャーナリスト)
水島総(頑張れ日本全国行動委員会幹事長)
8.31 「尖閣上陸報告会」&懇親パーティー
期日
平成24年8月31日(金)
場所
文京区民センター 3階
http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_kumin_shisetsu_kumincenter.html
内容
17時00分 報告会
18時30分 懇親会
21時00分 終了
登壇予定
田母神俊雄、水島総、小坂英二、麻野久美、松浦芳子、三輪和雄、永山英樹、小山和伸、村田春樹、三浦小太郎 ほか
会費
3,000円
主催
頑張れ日本!全国行動委員会
台湾研究フォーラム
ほか
御連絡先
頑張れ日本!全国行動委員会・事務局
TEL 03-5468-9222
info@ganbare-nippon.net
http://www.ganbare-nippon.net/
「頑張れ日本!全国行動委員会」は八月十七日から二十二日にかけ、日本の尖閣諸島に対する実効支配を示すための「第二回尖閣諸島で魚を釣ろう!尖閣諸島集団漁業活動」を実施した。
今回は約百五十名が石垣島、与那国島、宮古島から出航する約二十隻の漁船に乗り込み、魚釣島など各島の周辺海域を巡るとともに、「日本の領土を守るため行動する議員連盟」(会長=山谷えり子参議院議員)などによる魚釣島での疎開船遭難記念碑前での慰霊祭も計画されていたが、政府がその上陸を事前に不許可とし、あるいは十五日に香港の活動家による魚釣島不法上陸事件が発生するなど、領土防衛を願う全国国民が切歯扼腕する中での実施となった。
私もこれに初めて参加。十七日午後一時過ぎ、に現地で総指揮を行う水島総幹事長ら数十名と共に羽田空港を飛び立ち、石垣島に到着。同島ではちょうど、不法上陸の活動家たちの船が罪を問われることなく、香港へ出航するところだった。
十八日午後は島内に立つ遭難事件に犠牲者の慰霊碑前で慰霊祭が営まれたが、それに先立つ昼過ぎ、私を含む六名は宮古島から船に乗り込むため、石垣空港へ向かった。空港では到着したばかりの国会議員たちの姿が見えた。
宮古島へ着くと、一度投宿した後に漁港へ向かった。そこから活動に参加する漁船は六隻。我々六人はそのうち二隻に分かれて乗った。
私が乗り組んだのは拓漁丸である。出航は午後五時半ごろ。目的地点まで距離が長いため、石垣島、与那国島の船より二時間以上早かった。

宮古島での出航前。同行する漁師さんたちと
海はめったのいないほどの穏やかな凪の状態。翌日夜の帰港まで、これに恵まれることになる。
西へと進む船の先には美しい夕日が輝き、それが暮れた後は降るような星空が広がった。

船から夕陽を眺む
甲板でそのようなものを見上げながらうたた寝などをするうち、いつしか東の空が白み出し、前方に南小島、北小島、魚釣島の影が認められ始めた。十九日午前五時より前だったと記憶する。
■神々しき絶海の我が領土
南小島、北小島を見ながら船は一直線に魚釣島へ向かって驀進した。徐々に大きくなる絶海の国土の姿は、それがまさに外国の侵略の脅威を受けているからこそなおさらに、神々しく、そして愛おしく感じられてならなかった。

朝日を浴びる尖閣諸島。右から南小島、北小島

魚釣島を目指し
やがて五時半から六時すぎにかけてのころだろうか、島の南側へ到着。聳える断崖の麓に平らな岸辺が見え、私はそれが集結地点に思えた。
しかし他の漁船の影はない。当初は一番乗りかと思ったが、しかしすでに慰霊祭(上陸はできないため船上で執り行う)が始まってもいい時間だ。
拓漁丸はその周辺であちこちへと移動を繰り返しており、やがては集結地点を見つけるものと思っていたが、六時半ごろだろうか、舳先で島を見詰めていた私は、島の西方向の山の向こうに海保のヘリコプターが慌しく飛び回るのを見つけ、自分たちが地点を誤っていることに気がついた。
それでそのことを船の漁師さんに告げ、その方向へ急行してもらった。
漁船団の主力は石垣島からのもので、その無線の周波数を拓漁丸は聞いておらず、交信をできずにいた。そのため集結地点での状況はまったくわからなかった。ヘリが旋回するのは、上陸が行われたためではないかと思った。
実は私は前日、石垣島から宮古島へ移動する前、水島幹事長から上陸する意向を聞かされていた。
それは活動を監視する海保には許容することのできない行動である。しかし先日中国人活動家たちに足を踏み入れられながら、日本人の我々が島を目前にして何もできないとあっては、中国に対して誤ったメッセージを送りかねない事態となる。
つまり日本民間の反中勢力の活動など、見せかけだけのパフォーマンスに過ぎないと侮られる危険性があるのだ。もちろん国民に対しても、そうした誤解を与えることだろう。
だから何としてでも実施に移すべきだと感じた。水島氏の話に、私の胸は躍った。
しかしこの計画は漁船の漁師さんたちには行動開始まで伏せるとのことだった。漁船には迷惑をかけかねないため、協力も強要できないと言っていた。
そうした経緯があったため、私は船上で「出遅れた!」と思った。あのときの思いは、何とも形容しがたいものがあった。
■海に飛び込んだ上陸部隊
七時半近くになり、集結地点に到着した。すでに次々と漁船が現場から離脱しており、慰霊祭が終了したことは確かだった。
拓漁丸は水島氏が乗る第一桜丸のところまで直行。船上にいた水島氏に「終わりましたか」と聞くと「そろそろだ」との答えだった。
たしか複数の漁船を海岸の前で横付けにすると聞いていたので、上陸に堪える丈夫な靴に履き替え、指示を待とうと思っていると、第一桜丸ともう一隻から、次々と人が海へ飛び込むのが見えた。七時半過ぎのことである。

陸に向かって泳ぐ上陸部隊
真っ先に飛び込んだ人が、岸辺の岩礁に上がり、そこにロープを縛り付け、人々を誘導した。特殊部隊隊員のような機敏に目を見張った(後にそれが還暦を過ぎた水島氏だったことを知り驚嘆する)。
周囲の船から歓声が上がった。
後方には活動を監視する海保の巡視船が三隻停泊し、空は同じくヘリやジェット機が飛び交う中での緊迫した場面だった。
そうしたなか、漁船は次々と現場を離れて行った。たぶん計画を知らされていなかったためだと思われるが、そのときは無線交信も不能のため、全く状況を判断することができなかった。
しかし前日、水島氏から島で撮影したVTRを海保に没収する前に受け取ってほしいとも言われていたため、その「任務」に徹することとし、漁師さんに受取り用の網を用意してもらい、洋上で待機し続けた。
その間、断崖の上で日の丸が振られるのが見えた。麓の灯台やその近くでも日の丸と何人もの人影が見えた。私は持っていた拡声器で、振られる日の丸に向かって万歳を叫んだ。

灯台付近に集結する上陸者たち
そしてその一方で巡視艦から「軽犯罪法に抵触する恐れがあります。上陸を止めなさい」との警告が発せられ、高速のゴムボートも発進し、海上保安官が上陸者の帰りを待つ二隻の漁船へ乗り込んでいくのが見えた。

上陸地点に接近する海保巡視艦

海上保安官の臨検を受ける第一桜丸
こうした状況のため、VTRの受け取りなどもはや不可能となったが、しかし上陸した英雄たちが帰船するまで見守ることに。一緒に同じところにいなければとの思いがあった。
■対台湾アピールの試み
全員が船に戻ったのを確認し、そして労いの言葉をかけて帰途に就いたのが十時半が過ぎ。上陸行動を夢中になって見守っていたら、あっという間に時間が過ぎていた。
それから間もなくして、巡視艦が我が船を猛スピードで追尾してきた。北小島、南小島に向かうことを警戒したからだと思う。
こうした海保の出動による物々しい空気の中、最後まで現地に残ってくれた拓漁丸には感謝している。その後は活動の大成功を喜びながら、漁師さんや同乗のメンバーと酒を飲み交わすなどした。
なお、私は魚釣島付近で、一つの行動を試みている。
それは島を背景に、「尖閣は間違いなく日本の領土。日台は共に中国に対抗し、東支那海の平和を守ろう」と漢文で書いたプラカードを広げた写真を撮り、あるいは動画を撮影し、それらを台湾の人々に見せることだった。
現在中国は台湾を取り込み、尖閣問題で歩調を合わせると言う台中提携、日台分断の工作を推進しているわけだから、日本もまた台湾を取り込み、反中国で連帯する努力をしなければならないはずである。
それではこうした面で日本に勝機があるかと言えば、十分にある。そもそも台湾の国民は、心情的には親日反中。尖閣が日本領土であることを理解するだけの理性も備わっているし、すでにそうした認識は広まりつつある。尖閣が中国に奪取されれば、日本だけではなく台湾もまた危険だということも理解している。
そこでこうしたささやかなアピールを行ってみたのだ。

台湾国民に向け、尖閣が日本領であることと、中国への共同対抗を訴えた
写真と動画をネットで公開したところ、予想以上に賛同の声、共感の声があの国の若者たちから寄せられた。
さて、拓漁丸が宮古島へ戻ったのは午後十時だった。そこでは地元の警察官が事情聴取のため、待ち構えていた。すでに上陸の模様はマスコミによって大々的に報じられていることも知った。
■大戦果と呼ぶべし
二十日は午前中から、漁師さんの案内で宮古島を見物した。ほんとうに海の美しい島だった。そこで特に感動したのは島の五勇士の記念碑を参観できたことだった。

宮古島の五勇士の日の前で国防の決意を新たに
日露戦争中、手漕ぎの船で通信施設の石垣島までの百七十キロを十五時間で渡り、バルチック艦隊北上の報を届けた五人の若者を記念するものだ。漁師さんに聞いたが、これは普通にはとてもできることではないらしい。
しかしこうした愛国の至情こそは、「二十一世紀のバルチック艦隊」(中国軍事力の海洋進出)に直面する今日の国民が仰ぐべきものである。
もっとも今回の尖閣での活動にしても、参加した国民一人一人の愛国心が結集して成し遂げられたものだった。
この日は宿でテレビ各局の報道を見たが、日頃は尖閣購入計画にすら批判を加えてきた媚中メディアも、今回はどれもが上陸を批判しきれないばかりか、逆に領土問題で無為無策の政府を叱る論調が目立ったのは、上陸を是とする視聴者、世論の反映だろう。要するにこの活動は、メディアの姿勢をも変えてしまったのだ。
またこの活動の成功を受け、中国で反日デモが拡大したのには、こうした日本国民の目覚めに手も足も出せないでいる自国政府に不満を募らせたからだと言う側面もある。あの国にはしっかりと、日本国民の気概を見せつけることに成功したのだ。
これは大戦果と言えるだろう。我々は明らかに「戦った」のだ。この一文を「遠征記」とする所以である。
二十一日午後、宮古島空港を発って那覇空港に到着。そこで石垣島、与那国島からのグループと再び合流し、無事に内地へと戻ったのである。
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【緊急特番】守るぞ日本 守るぞ尖閣 Part5[桜H24/8/25]
SakuraSoTV さんが 2012/08/25 に公開
尖閣諸島に不法上陸した香港の活動家らを強制送還とするなど、日本政府による弱腰外交は底知れぬ様相を呈している。そんな中、「領土議連」所属の国会議員も参加し、戦時疎¬開中に遭難した先人達のための慰霊祭も行うことで、尖閣諸島が日本の領土であることを改めて内外に示した集団漁業活動(8月19日)の様子や、政府の姿勢への抗議として有¬志10名が魚釣島に上陸した際の模様などについてお送りします!
出演:
浅野久美(「桜プロジェクト」キャスター)
イリハム・マハムティ(日本ウイグル協会会長・世界ウイグル会議東アジア地区副総裁)
こいそ明(東京都議会議員)
小坂英二(東京都荒川区議会議員)
鈴木章浩(東京都議会議員)
永山英樹(台湾研究フォーラム会長・日本李登輝友の会理事 台湾正名推進本部長)
松浦芳子(東京都杉並区議会議員・草莽全国地方議員の会代表)
山本浩一(フォトジャーナリスト)
水島総(頑張れ日本全国行動委員会幹事長)
8.31 「尖閣上陸報告会」&懇親パーティー
期日
平成24年8月31日(金)
場所
文京区民センター 3階
http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_kumin_shisetsu_kumincenter.html
内容
17時00分 報告会
18時30分 懇親会
21時00分 終了
登壇予定
田母神俊雄、水島総、小坂英二、麻野久美、松浦芳子、三輪和雄、永山英樹、小山和伸、村田春樹、三浦小太郎 ほか
会費
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