中国虐殺政治は日本を襲うかー台湾戒厳令解除二十年に思う
2007/08/10/Fri
チベットや東トルキスタン(新疆)の独立を応援する日本人が少なくないのは、かつてアジア諸民族の独立を訴えた大アジア主義を思わせてすばらしい。ところでそうした人たちから、台湾独立の支援はチベット支援などに比べ、緊急性がないといった話を聞かされたことがある。たしかにそれはもっともだ。なぜなら台湾は現在、中国人の弾圧支配を蒙っていない。
台湾もかつては長期間にわたって血の弾圧を受けていたが、今からちょうど二十年前、そうした支配体制にピリオドが打たれている。それは中国と陸続きでないことが幸いしたのだろう。だが中国の勢力が海を越えて伸張しつつある今日、再び台湾は中国人の支配下に置かれようとしている。また、勢力が海を越えると言うことは、もはや危機は台湾だけの話ではなくなりつつある。
そこで中国人の脅威に曝されつづける台湾の戦後の状況を俯瞰してみよう。
■「日本の原爆、台湾に蒋介石」と言われる理由
戦後、日本では七年間の米国占領時代は例外としても、だいたいは自由と民主が謳歌されてきた。一方すぐ隣の台湾では、中国人(国民党政府)によって三十八年間にも及ぶ世界最長の戒厳令が敷かれ、その下で恐怖政治が横行し、罪のない人々が権力者の都合で大量に投獄され、あるいは処刑された。そこでは民主、自由、人権など、ほとんど顧みられなかった。
だから老世代の台湾人はよくこう言う。「米国は日本に原爆を落としたが、台湾へは蒋介石を落とした」と。米国が蒋介石に台湾占領を命じたため、台湾人は原爆投下に匹敵する惨劇に見舞われたと言うことだ。かつて同じ国の国民だった日本人と台湾人の戦後の運命の分かれ目は、中国人に支配されたかどうかで決まったのだ。
今年の七月十五日は台湾の戒厳令解除からちょうど二十周年に当たった。そこで台湾政府は毎年この日を、民主主義の大切さを考える戒厳令解除記念日とすることに決めた。しかし懸念されるのは台湾の民主、自由、人権が、今後も保障されるかである。なぜなら台湾には旧支配者勢力である中国人が健在だからだ。政治の体制、理念は変っても、変わらないのは彼らの独裁政治文化、独裁志向のDNAなのだ。
■台湾戦後史に見られた中国人の生命観
一九四九年、すでに国府の軍事占領下にあった台湾に、内戦で敗れた蒋介石が二百万人もの中国軍民を連れて逃げ込み、台北を臨時首都とした。そしてそこで施行されたのが戒厳令である。その法的根拠は「動員戡乱時期臨時条款」。「戡乱」とは「内乱を平定する」の意味で、「中国内戦は継続中につき、共産党を討伐するまでは憲法は停止する」と言うものだった。
戒厳令の目的には、最後の陣地である台湾で戦時体制を強化すること、そして共産党の浸透を防ぐこと以外には、超法規の人治独裁体制を固め、台湾人六百万人の上に君臨することがあった。そしてそこで行われたのが白色テロだ。台湾人を恫喝して反抗を封じた上で、その自由や人権を剥奪したのである。
たとえば特務機関は「一人を捕らえるため、疑わしきを百人逮捕する」との方針で政治犯狩りを行い、無辜の住民を次々と捕らえた。そして軍事法廷では二万九千四百七件もの「政治事件」が扱われ、十四万人もが「政治犯」として迫害を受け、そのうち三千~四千人が殺害されたと見られている。最近では台湾政府が、迫害を受けた者は二十万人を超えるだろうとの見方を示している。
「超えるだろう」と言うのは、逮捕者、死者の数が正確に記録されていないからだが、このようなところに中国人権力者の生命観が表れている。つまり虫けらのように人を捕らえ、虐殺し、そして土中に投げ捨てたと言うことだ。これは戦前の法治社会では決して見られないことだった。
■戒厳状態は三十八年間だけではない
独裁者の地位を父蒋介石から譲り受けた息子の蒋経国総統が、戒厳令を解除したのが二十年前、すなわち一九八七年のことである。すでに大陸反攻も不可能になっていた当時、住民の民主化要求の高まりや、米国の圧力を受けての措置である。解除命令書に蒋経国の印はあっても署名がないのは、糖尿病で意識が朦朧としていた蒋経国のため、政務を代行していた台湾人である李登輝副総統の手によるものだからとされている。
八八年に蒋経国が死去し、後任の李登輝総統が民主化を推進したことは周知だが、だからと言ってただちに自由が到来したわけではない。
結社の自由、報道の自由が認められたのは八八年一月のことだ。刑法の反乱罪条項の撤廃は九一年一月。戒厳法、動員戡乱時期スパイ検挙条例の廃止は九一年五月。動員戡乱時期臨時条款を廃止する代りに制定された動員戡乱時期国家安全法(共産主義、台湾独立の主張の禁止など)が国家安全法に改められたのは九二年七月、出版法(出版物の登録制度)が廃止されたのは九九年一月になってからだ。このように戒厳状態は三十八年間のみではなかったのである(それに終戦直後からの住民弾圧時代も付け加えれば、じつに五十四年間も及んだ計算になる)。
それもこれも政府、国会でなお、中国人勢力が幅を利かせていたためだ。戒厳色払拭の進度は、中国人支配体制下における台湾人の擡頭、つまり李登輝総統の実権掌握の進度をそのまま表していた。
■台湾人の「自由」を許容しない国民党
さて二〇〇〇年に民進党が政権を握り、国民党支配に終止符が打たれたものの、それで国民党が消滅したわけでなく、むしろ李登輝なきあとは、中国人主導の政治集団へと回帰し、国会、報道機関を牛耳りながら、来年の総統選挙で政権を奪還しようと全力を挙げている。そのような状況の中で気になるのが、彼らは「戒厳令解除二十周年」をどう見ているかと言うことだ。
たしかに総統候補の馬英九は国民党の白色テロに関して台湾人に謝罪している。しかしその一方でこの勢力は、「白色テロで迫害を受けた者は三、四万人にすぎない。外省人も殺されている」とか、「蒋経国は戒厳令を解除した恩人だ」などと宣伝しているのである。
同じ国民である犠牲者への哀悼の気持ちは、そこではほとんど感じられない。馬英九にしても選挙対策上謝罪はしたものの、もともと彼は学生の民主化運動を監視する特務学生で、当時は戒厳令解除に反対していたことがわかっている。
中国人にとって台湾人など、やはりあくまでも自分たちに支配されるべき「虫けら」の存在なのだろう。だから台湾人の政治の自由など絶対に許容できない。これまでこの勢力は権力奪還のために、「民進党が政権の座にある限り、いずれ中国と戦争になる」と絶えず宣伝して来たが、それが何かと言えば、すなわち恫喝である。
戒厳令解除後、白色テロで台湾人を恫喝できなくなった彼らは、今では赤色テロの恐怖を強調しているわけである。つまり「虎の威を借る」の策略だ。中国人の残忍性を知り尽くしている台湾人には、これがとても効果がある。国民党がかつての不倶戴天の敵である共産党と提携を深める本当の狙いはそこにあるのだ。
■アジアを襲う赤色テロの恐怖
このように、中国人勢力の意識は戒厳令時代と変っていない。だから彼らが政権を奪ったあかつきには、中国人からの自由と独立を求める台湾人に対し、白色テロを再始動しないとも言いきれない。たとえ白色テロは無効であっても、赤色テロ到来の可能性はいつまでも拭われることはない。こちらの場合はすでにチベットで百二十万人を、文革期には二千万人をも殺害した実績があり、今ではミサイルで「台湾海峡を火の海にする」と言う意思と力まで持っている。中国人の虐殺文化の恐怖に曝されつづけなければならないのが、台湾人の悲劇なのである。
ところで日本人は、将来において中国人の影響下に置かれると言うことを、あるいは直接支配されると言うことを考えたことがあるだろうか。我々の子孫が虐殺の恐怖の下で暮らすと言うことを。
「そのようなことはあり得ない」とは言い切れない。「台湾の次は日本」である。中国覇権主義は事実として、それを目指して膨脹をつづけているのではないのか。この国の軍備は、すでに「台湾解放」のための域を超えつつあるのである。
中国の前で日台は生命共同体だ。台湾を支え、日本を守ろう!
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台湾もかつては長期間にわたって血の弾圧を受けていたが、今からちょうど二十年前、そうした支配体制にピリオドが打たれている。それは中国と陸続きでないことが幸いしたのだろう。だが中国の勢力が海を越えて伸張しつつある今日、再び台湾は中国人の支配下に置かれようとしている。また、勢力が海を越えると言うことは、もはや危機は台湾だけの話ではなくなりつつある。
そこで中国人の脅威に曝されつづける台湾の戦後の状況を俯瞰してみよう。
■「日本の原爆、台湾に蒋介石」と言われる理由
戦後、日本では七年間の米国占領時代は例外としても、だいたいは自由と民主が謳歌されてきた。一方すぐ隣の台湾では、中国人(国民党政府)によって三十八年間にも及ぶ世界最長の戒厳令が敷かれ、その下で恐怖政治が横行し、罪のない人々が権力者の都合で大量に投獄され、あるいは処刑された。そこでは民主、自由、人権など、ほとんど顧みられなかった。
だから老世代の台湾人はよくこう言う。「米国は日本に原爆を落としたが、台湾へは蒋介石を落とした」と。米国が蒋介石に台湾占領を命じたため、台湾人は原爆投下に匹敵する惨劇に見舞われたと言うことだ。かつて同じ国の国民だった日本人と台湾人の戦後の運命の分かれ目は、中国人に支配されたかどうかで決まったのだ。
今年の七月十五日は台湾の戒厳令解除からちょうど二十周年に当たった。そこで台湾政府は毎年この日を、民主主義の大切さを考える戒厳令解除記念日とすることに決めた。しかし懸念されるのは台湾の民主、自由、人権が、今後も保障されるかである。なぜなら台湾には旧支配者勢力である中国人が健在だからだ。政治の体制、理念は変っても、変わらないのは彼らの独裁政治文化、独裁志向のDNAなのだ。
■台湾戦後史に見られた中国人の生命観
一九四九年、すでに国府の軍事占領下にあった台湾に、内戦で敗れた蒋介石が二百万人もの中国軍民を連れて逃げ込み、台北を臨時首都とした。そしてそこで施行されたのが戒厳令である。その法的根拠は「動員戡乱時期臨時条款」。「戡乱」とは「内乱を平定する」の意味で、「中国内戦は継続中につき、共産党を討伐するまでは憲法は停止する」と言うものだった。
戒厳令の目的には、最後の陣地である台湾で戦時体制を強化すること、そして共産党の浸透を防ぐこと以外には、超法規の人治独裁体制を固め、台湾人六百万人の上に君臨することがあった。そしてそこで行われたのが白色テロだ。台湾人を恫喝して反抗を封じた上で、その自由や人権を剥奪したのである。
たとえば特務機関は「一人を捕らえるため、疑わしきを百人逮捕する」との方針で政治犯狩りを行い、無辜の住民を次々と捕らえた。そして軍事法廷では二万九千四百七件もの「政治事件」が扱われ、十四万人もが「政治犯」として迫害を受け、そのうち三千~四千人が殺害されたと見られている。最近では台湾政府が、迫害を受けた者は二十万人を超えるだろうとの見方を示している。
「超えるだろう」と言うのは、逮捕者、死者の数が正確に記録されていないからだが、このようなところに中国人権力者の生命観が表れている。つまり虫けらのように人を捕らえ、虐殺し、そして土中に投げ捨てたと言うことだ。これは戦前の法治社会では決して見られないことだった。
■戒厳状態は三十八年間だけではない
独裁者の地位を父蒋介石から譲り受けた息子の蒋経国総統が、戒厳令を解除したのが二十年前、すなわち一九八七年のことである。すでに大陸反攻も不可能になっていた当時、住民の民主化要求の高まりや、米国の圧力を受けての措置である。解除命令書に蒋経国の印はあっても署名がないのは、糖尿病で意識が朦朧としていた蒋経国のため、政務を代行していた台湾人である李登輝副総統の手によるものだからとされている。
八八年に蒋経国が死去し、後任の李登輝総統が民主化を推進したことは周知だが、だからと言ってただちに自由が到来したわけではない。
結社の自由、報道の自由が認められたのは八八年一月のことだ。刑法の反乱罪条項の撤廃は九一年一月。戒厳法、動員戡乱時期スパイ検挙条例の廃止は九一年五月。動員戡乱時期臨時条款を廃止する代りに制定された動員戡乱時期国家安全法(共産主義、台湾独立の主張の禁止など)が国家安全法に改められたのは九二年七月、出版法(出版物の登録制度)が廃止されたのは九九年一月になってからだ。このように戒厳状態は三十八年間のみではなかったのである(それに終戦直後からの住民弾圧時代も付け加えれば、じつに五十四年間も及んだ計算になる)。
それもこれも政府、国会でなお、中国人勢力が幅を利かせていたためだ。戒厳色払拭の進度は、中国人支配体制下における台湾人の擡頭、つまり李登輝総統の実権掌握の進度をそのまま表していた。
■台湾人の「自由」を許容しない国民党
さて二〇〇〇年に民進党が政権を握り、国民党支配に終止符が打たれたものの、それで国民党が消滅したわけでなく、むしろ李登輝なきあとは、中国人主導の政治集団へと回帰し、国会、報道機関を牛耳りながら、来年の総統選挙で政権を奪還しようと全力を挙げている。そのような状況の中で気になるのが、彼らは「戒厳令解除二十周年」をどう見ているかと言うことだ。
たしかに総統候補の馬英九は国民党の白色テロに関して台湾人に謝罪している。しかしその一方でこの勢力は、「白色テロで迫害を受けた者は三、四万人にすぎない。外省人も殺されている」とか、「蒋経国は戒厳令を解除した恩人だ」などと宣伝しているのである。
同じ国民である犠牲者への哀悼の気持ちは、そこではほとんど感じられない。馬英九にしても選挙対策上謝罪はしたものの、もともと彼は学生の民主化運動を監視する特務学生で、当時は戒厳令解除に反対していたことがわかっている。
中国人にとって台湾人など、やはりあくまでも自分たちに支配されるべき「虫けら」の存在なのだろう。だから台湾人の政治の自由など絶対に許容できない。これまでこの勢力は権力奪還のために、「民進党が政権の座にある限り、いずれ中国と戦争になる」と絶えず宣伝して来たが、それが何かと言えば、すなわち恫喝である。
戒厳令解除後、白色テロで台湾人を恫喝できなくなった彼らは、今では赤色テロの恐怖を強調しているわけである。つまり「虎の威を借る」の策略だ。中国人の残忍性を知り尽くしている台湾人には、これがとても効果がある。国民党がかつての不倶戴天の敵である共産党と提携を深める本当の狙いはそこにあるのだ。
■アジアを襲う赤色テロの恐怖
このように、中国人勢力の意識は戒厳令時代と変っていない。だから彼らが政権を奪ったあかつきには、中国人からの自由と独立を求める台湾人に対し、白色テロを再始動しないとも言いきれない。たとえ白色テロは無効であっても、赤色テロ到来の可能性はいつまでも拭われることはない。こちらの場合はすでにチベットで百二十万人を、文革期には二千万人をも殺害した実績があり、今ではミサイルで「台湾海峡を火の海にする」と言う意思と力まで持っている。中国人の虐殺文化の恐怖に曝されつづけなければならないのが、台湾人の悲劇なのである。
ところで日本人は、将来において中国人の影響下に置かれると言うことを、あるいは直接支配されると言うことを考えたことがあるだろうか。我々の子孫が虐殺の恐怖の下で暮らすと言うことを。
「そのようなことはあり得ない」とは言い切れない。「台湾の次は日本」である。中国覇権主義は事実として、それを目指して膨脹をつづけているのではないのか。この国の軍備は、すでに「台湾解放」のための域を超えつつあるのである。
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