辛亥革命の実像が照らす日台中関係の真実
2011/10/28/Fri
(本稿は「中央情報通信」十月号からの転載である)
辛亥革命の実像が照らす日台中関係の真実
~先人の辛亥革命支援にならい、台湾独立支援の新アジア主義運動を~
台湾研究フォーラム会長 永山英樹
■孫文は辛亥革命を指導していない
東日本大震災救援のチャリティーも兼ねる「台湾祭り」が九月三、四日、東京の恵比寿ガーデンプレイスで開催され、立ち並ぶ台湾料理のブースなどに大勢の人が詰めかけた。主催は在日台湾人の団体となっているが、実際に後ろでコントロールしていたのは台北駐日経済文化代表処。すなわち台湾の駐日大使館に相当する機関だ。三年前に発足した国民党政権は独裁時代と同様、国と党とを区分することができないらしく、今ではそこは中国国民党の駐日出先機関の様相を呈している。この「台湾祭り」の名称に、「中華民国一〇〇年記念」と付いていたのは、なんとも象徴的だった。
今年は中華民国を誕生させた辛亥革命勃発から百年目にあたるため、そのように銘打ったわけだが、実際には、当時の中華民国と蒋介石の国民政府の流れを汲む今日の台湾の中華民国の間には連続性などない。辛亥革命を契機に発足した中華民国政府は権力を清朝軍閥・袁世凱に奪われて換骨奪胎され、その北京の政府は孫文及び蒋介石の北伐によって滅亡しているのだ。
ちなみに国民党は、北京の政府に対する自分たちの政府の正統性を強調するため、辛亥革命を孫文の指導によると宣伝しているが、それも違うだろう。武昌で革命を開始したのは反孫文の文学社や共進社などのメンバーだ。その後各省、各地で独立が宣言されたが、孫文の仲間が宣言したのは、そのうちわずか二省と上海のみ。当の孫文は当時米国にいて、現地の新聞で初めて革命の勃発を知ったという有様だ。
もっとも孫文は中華民国臨時政府の初代臨時大総統には就任している。しかしそれは外国の承認を得るため、国際社会で著名な孫文の就任が必要とされただけで、孫文自身はやる気もなかった。なぜならその国家体制作りは思想的に対立する宋教仁が主導していたからで、実際に就任から一ヵ月半ほどで、そのポストを清朝の袁世凱総理に譲っている。
なお清朝滅亡の引き金を押したのは革命勢力ではなく、この袁世凱が宣統帝を恫喝し、退位させたことによる。
■反台湾の「中華民国百年」キャンペーン
だが中国人にとって歴史とは捏造するためのものらしい。国民党は国共内戦に敗れて台湾へ亡命したのちも、孫文を国父などと強調し、中華民国政府が中国代表政権であると内外に宣伝し、台湾住民には中国人意識を植え込み、中共への敵愾心を煽り、自らの台湾人への支配体制を固めたのだった。
時は移って民主化時代を迎え、台湾住民だけによる総統選挙が行われるなど、台湾は中国とは無関係の、台湾人主体の国家へと変貌して行った。だがこれに危機感を抱いたのが国民党の中国人勢力(旧支配者層)だ。彼等は今や「一つの中国」(台湾は中国の一部であり中国とは中華民国)を強調し、中共と提携(関係改善を演出)しながら、台湾人の「中国離れ」(中国人の言うところの台湾独立)の動きを封じようと懸命になっている。
そして筆者が冒頭で指摘した「中華民国一〇〇年」の強調もその一環なのである。来年一月の総統選挙では、何としてでも馬英九総統が民主進歩党(民進党)の台湾人候補(蔡英文主席)を退け、国民党政権の台湾統治(在台中国人の台湾人支配)をさらに強化することばかりを考えている。
■国民党の対日関係発展の策謀
さて駐日代表処の日本での重要任務は言うまでもなく、日台関係の維持、強化にあるが、それが国民党の出先機関と化した後は、日本と国民党の関係強化へと変わっている。
かつては反共運動で自民党などと深い関係を維持してきた国民党も、いまや台湾人政治勢力の台頭を抑えるために中共と提携を深める対中宥和に転じ、その急速な中国傾斜政策は日本の政界も危惧するところだ。また日本人の台湾支持層の多くは李登輝元総統や台湾人政党である民進党の民主化路線(中国離れの動き)に好感を抱いてきた。
そこで駐日代表処が進めるのが、中共との緊張を生んだ民進党への誹謗宣伝であり、自らの対中関係「改善」の自画自賛宣伝だ。それは馮寄台駐日代表(駐日大使に相当)が日本の新聞、雑誌に盛んに寄せる論文を読めばよくわかる。かくして党の対日関係を改善し、それを国内有権者にアピールしようというわけだ。
ただ国民党にとっての障害は、その尖閣問題や歴史問題での反日姿勢に日本人が反感を募らせていることだ。そこで目をつけたのが、台湾で東日本大震災の被災地救援で巨額の義捐金が集められたことを受け、日本人の親台感情が高まっている今の状況である。
二百億円を超える義捐金の九割以上は民間からのものだが、これに対する日本人の感謝の念による日台関係の強化を、どうも国民党政権は自らの外交実績としたいらしい。
■日本人の友情を政治利用
そこで話を「中華民国一〇〇年記念 台湾祭り」へ戻そう。このイベントのキャッチフレーズは「ガンバレ日本!これまでの一〇〇年、これからの一〇〇年 台湾はずっと日本の良い友達」だ。まるで台湾からの被災地支援が、百年前の中華民国建国以来の日華親善関係の賜物であるかのような宣伝ではないか。そもそも百年前の台湾は、中華民国ではなく日本の領土だった!
日本人に向けては、あたかも被災地支援が国民党主導のものであると宣伝したいかのようだ。
被災地支援で見られた台湾人の親日的傾向は、民進党やその支持者の方が強いと一般的には見られていることもあり、「台湾祭り」は、国民党による功績の一人占めを狙ったイベントだったと批判する声が実際に強い。
また九月十七日から十九日にかけ、台湾からの支援に感謝の気持ちを伝えようと、被災地出身の若者ら六人が、日本最西端の与那国島から海の向こうの台湾まで泳いで渡るという「日台黒潮泳断チャレンジ二〇一一」が実施された。これにも駐日代表処は全面的なバックアップを行ったが、ここでも日本人の善意の政治利用が疑われている。
若者たちは出発前、駐日代表処で記者会見を行っているが、そこではこの「チャレンジ二〇一一」も、「中華民国(台湾)一〇〇年記念イベント」と位置づけられていたのだ。
台湾でもこの遠泳の壮挙は大いに注目されたが、これではまるで「中華民国百年」を祝賀するため、つまり国民党支持を表明するため、海を渡るとの印象が持たれてしまうだろう。
■台湾は中華民国領ではない
さて、東京で辛亥革命百年を記念する「台湾祭り」が行われた九月四日、台北では台湾独立派が、サンフランシスコ講和条約調印六十周年を記念して、「主権を顧み平和を愛する」と題する大規模デモ行進を実施し、「棄馬保台」(馬英九の支持を止め、台湾を守れ)を訴えた。
たしかに日本が連合国との間でサ条約に調印してから今年で六十年だが、ではなぜ台湾人がこれを記念するのだろうか?
実はこの条約により、日本は台湾の主権を放棄したのである。そしてこの島の新たな帰属先は決められず、それは台湾住民の自決に委ねるものとされたのだ。とうころが条約発効当時、住民自決など行われようもなかった。なぜならすでに台湾は中華民国亡命政府の独裁支配下に置かれていたからだ。もちろんそれは国際法上、明らかな不法占領といえたが、それを排除することなど、米国といえども不可能だった。
国民党は日本から台湾の返還(割譲)を受けたとの法的根拠をでっち上げ、台湾は中華民国領だと主張して今日に至っている。そして今、国民党政権は、あくまでも「一つの中国」の看板を掲げ、中華民国の台湾支配を正当化し、台湾人勢力を抑えつけようとしているわけだ。しかもその「一つの中国」の看板こそが、中共に中国統一(台湾併呑)の口実を与えてしまっているわけである。
中共の主張は、台湾は日本から返還され中華民国領になったが、その中華民国が滅亡した以上、台湾は中華人民共和国が継承したというものだ。だが日本は台湾をどこにも割譲していない以上、中華民国領でも中華人民共和国領でもないのである(日本政府は中国の怒りを恐れ、この法的事実を公の場では認めようとしない)。
■中共に歯向かえない国民党
そこでデモ主催者はこの日、「馬英九は存在もしない九二年合意、つまり台湾の主権を中国に譲り渡す一つの中国の原則を宣伝しようとしているが、受けいれることはできない」と語った。この「九二年合意」とは、一九九二年の台中協議で、「双方は『一つの中国』を堅持し、『中国』の解釈はそれぞれが行う」というものだという。
そしてそれに従い国民党の「中国は一つで、中国とは中華民国」との解釈は中共に許容されており、これで中共とは宥和できると国民党は宣伝しているわけだが、実はそのような合意など作り話なのだ。だいたい「中華民国」を容認するような合意に、中共が応じるわけがないのである。
「双方は中国が一つであることで合意した」にすぎないとするのが中共の主張だ。それは間違いなく事実だろう。国民党に「一つの中国」を認めさせたからには、あとは「中国とは中華人民共和国」であることを呑ませることに全力を挙げているところである。
そしてそうした中共の攻勢に抗いがたくなっている国民党の高官たちは、中共要人の前では「中華民国」の国号すら口にできなくなっていることを忘れてはならない(「中華民国」と表明できないこと自体、九二年合意が存在していない証ではないか)。
■中共が辛亥革命百年を祝う狙い
辛亥革命百年は中共も祝賀している。十月九日には記念大会が開催され、そこにおいて胡錦濤国家主席は「重要講話」なるものを行い、次のように強調した。
「孫文先生はかつて、統一が中国全国民の希望だとおっしゃった。統一できれば全国人民は幸福となり、できなければ損害を受ける。平和方式で統一を実現するのは台湾同胞を含む全中国人の根本利益に符合する。我々は両岸の関係と平和的発展を主題として掲げ続け、台独への反対姿勢を強化し、中華文化の優秀な伝統を宣揚し、一体感ある民族的アイデンティティを強化し、各種の問題を解決し続け、両岸対立を終結させ、歴史の傷跡を癒し、ともに中華民族の偉大なる復興を実現するため努力しよう」
つまり台湾(国民党)も称える孫文=辛亥革命をキーワードに、統一を呼びかける宣伝攻勢に打って出ているのである。
ここで胡錦濤は「台独への反対姿勢を強化する」と言っているが、言うまでもなく台湾は、つねに中華人民共和国からは独立した存在である。だからここでいう「台独」(台湾独立)とは、中国との統一を明確に拒否する人や行為を指すわけだが、それなら台湾の国民のほとんどが「台独」分子となってしまう。
したがってこれは台湾に対する友好のメッセージであるように見えて、実際には恫喝、警告なのだ。そしてこの警告は有効である。なぜなら台湾の国民は受け入れなくても、国民党政権はこれを無視することはできないからだ。
台湾人勢力に対抗するため、「中華民国」(チャイナ共和国)を強調し、そして「一つの中国」との合意の下で中共と連携し、「聯共制台」に手を染め、中共の威を借りてきた国民党は、あたかも暴力団の手を借りたばかりに、その言いなりとなってしまった庶民のように、もはや中共の傀儡、走狗の様相を呈している。
■辛亥革命支援のように台湾支援を
このように国共両党による「辛亥革命百年」記念のキャンペーンは、中共の台湾併呑および東亜全体への勢力伸張のための宣伝工作の一環だということができる。
十月十日に台北で盛大に開催された「中華民国建国百年」の祝賀式典で馬英九総統は、「国父の理想が自由、民主、豊かさを平等に分かち合う国家にあったことを忘れず、大陸はその方向へ前進するべきだ」と呼びかけ、その前日に「中華民族の偉大な復興」を強調した胡錦濤に反論して見せたが、しかしこれは有権者の前での強がりだろう。彼の国民党政権の中国傾斜に歯止めがかかっているとは誰も思っていない。
なお、馬英九は台湾が孫文の理想どおりに「自由、民主、豊かさを平等に分かち合う国家」になったと強調したが、それは正しくない。台湾が民主主義国家に生まれ変わったのは米国の圧力もあったが、やはり最大の要因は日本統治時代に育まれた遵法精神など近代的国民文化が台湾人の間で受け継がれていたからである。孫文思想を掲げる国民党が台湾にもたらしたのは不自由、反民主、不平等な人治社会文化だけだったではないか。
昨今辛亥革命百年を日本のメディアも取り上げている。「多くの日本人がかかわって支援した辛亥革命は、日本と中国、台湾を結ぶ絆でもある。その歴史的経緯を抜きに、今日の日中、日台関係を考えることはできない」と論評したのが読売新聞だが勉強不足。まるで国民党の宣伝そのものである。
国民党も日本人が革命支援を行った史実を強調し、同党と日本との関係の重要性を懸命に日本にアピールしているところだが、辛亥革命は当時の台湾とは無関係なのである。
日本人が本当に重視するべき「歴史的経緯」といえば、台湾人がかつて日本人と同胞だったことなのである。この元同胞が今、中共の併呑の脅威にさらされ、そして国民党によって城を明け渡されようとしているのだ。
台湾を守るため、声を上げるべきではないのか。「台湾は中国の一部などではない」と。東亜の未来のため、辛亥革命の支援に挺身した先人のごとく、我々もまた反中共、反国民党の台湾擁護の運動を画策、推進するべきである。(終)
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辛亥革命の実像が照らす日台中関係の真実
~先人の辛亥革命支援にならい、台湾独立支援の新アジア主義運動を~
台湾研究フォーラム会長 永山英樹
■孫文は辛亥革命を指導していない
東日本大震災救援のチャリティーも兼ねる「台湾祭り」が九月三、四日、東京の恵比寿ガーデンプレイスで開催され、立ち並ぶ台湾料理のブースなどに大勢の人が詰めかけた。主催は在日台湾人の団体となっているが、実際に後ろでコントロールしていたのは台北駐日経済文化代表処。すなわち台湾の駐日大使館に相当する機関だ。三年前に発足した国民党政権は独裁時代と同様、国と党とを区分することができないらしく、今ではそこは中国国民党の駐日出先機関の様相を呈している。この「台湾祭り」の名称に、「中華民国一〇〇年記念」と付いていたのは、なんとも象徴的だった。
今年は中華民国を誕生させた辛亥革命勃発から百年目にあたるため、そのように銘打ったわけだが、実際には、当時の中華民国と蒋介石の国民政府の流れを汲む今日の台湾の中華民国の間には連続性などない。辛亥革命を契機に発足した中華民国政府は権力を清朝軍閥・袁世凱に奪われて換骨奪胎され、その北京の政府は孫文及び蒋介石の北伐によって滅亡しているのだ。
ちなみに国民党は、北京の政府に対する自分たちの政府の正統性を強調するため、辛亥革命を孫文の指導によると宣伝しているが、それも違うだろう。武昌で革命を開始したのは反孫文の文学社や共進社などのメンバーだ。その後各省、各地で独立が宣言されたが、孫文の仲間が宣言したのは、そのうちわずか二省と上海のみ。当の孫文は当時米国にいて、現地の新聞で初めて革命の勃発を知ったという有様だ。
もっとも孫文は中華民国臨時政府の初代臨時大総統には就任している。しかしそれは外国の承認を得るため、国際社会で著名な孫文の就任が必要とされただけで、孫文自身はやる気もなかった。なぜならその国家体制作りは思想的に対立する宋教仁が主導していたからで、実際に就任から一ヵ月半ほどで、そのポストを清朝の袁世凱総理に譲っている。
なお清朝滅亡の引き金を押したのは革命勢力ではなく、この袁世凱が宣統帝を恫喝し、退位させたことによる。
■反台湾の「中華民国百年」キャンペーン
だが中国人にとって歴史とは捏造するためのものらしい。国民党は国共内戦に敗れて台湾へ亡命したのちも、孫文を国父などと強調し、中華民国政府が中国代表政権であると内外に宣伝し、台湾住民には中国人意識を植え込み、中共への敵愾心を煽り、自らの台湾人への支配体制を固めたのだった。
時は移って民主化時代を迎え、台湾住民だけによる総統選挙が行われるなど、台湾は中国とは無関係の、台湾人主体の国家へと変貌して行った。だがこれに危機感を抱いたのが国民党の中国人勢力(旧支配者層)だ。彼等は今や「一つの中国」(台湾は中国の一部であり中国とは中華民国)を強調し、中共と提携(関係改善を演出)しながら、台湾人の「中国離れ」(中国人の言うところの台湾独立)の動きを封じようと懸命になっている。
そして筆者が冒頭で指摘した「中華民国一〇〇年」の強調もその一環なのである。来年一月の総統選挙では、何としてでも馬英九総統が民主進歩党(民進党)の台湾人候補(蔡英文主席)を退け、国民党政権の台湾統治(在台中国人の台湾人支配)をさらに強化することばかりを考えている。
■国民党の対日関係発展の策謀
さて駐日代表処の日本での重要任務は言うまでもなく、日台関係の維持、強化にあるが、それが国民党の出先機関と化した後は、日本と国民党の関係強化へと変わっている。
かつては反共運動で自民党などと深い関係を維持してきた国民党も、いまや台湾人政治勢力の台頭を抑えるために中共と提携を深める対中宥和に転じ、その急速な中国傾斜政策は日本の政界も危惧するところだ。また日本人の台湾支持層の多くは李登輝元総統や台湾人政党である民進党の民主化路線(中国離れの動き)に好感を抱いてきた。
そこで駐日代表処が進めるのが、中共との緊張を生んだ民進党への誹謗宣伝であり、自らの対中関係「改善」の自画自賛宣伝だ。それは馮寄台駐日代表(駐日大使に相当)が日本の新聞、雑誌に盛んに寄せる論文を読めばよくわかる。かくして党の対日関係を改善し、それを国内有権者にアピールしようというわけだ。
ただ国民党にとっての障害は、その尖閣問題や歴史問題での反日姿勢に日本人が反感を募らせていることだ。そこで目をつけたのが、台湾で東日本大震災の被災地救援で巨額の義捐金が集められたことを受け、日本人の親台感情が高まっている今の状況である。
二百億円を超える義捐金の九割以上は民間からのものだが、これに対する日本人の感謝の念による日台関係の強化を、どうも国民党政権は自らの外交実績としたいらしい。
■日本人の友情を政治利用
そこで話を「中華民国一〇〇年記念 台湾祭り」へ戻そう。このイベントのキャッチフレーズは「ガンバレ日本!これまでの一〇〇年、これからの一〇〇年 台湾はずっと日本の良い友達」だ。まるで台湾からの被災地支援が、百年前の中華民国建国以来の日華親善関係の賜物であるかのような宣伝ではないか。そもそも百年前の台湾は、中華民国ではなく日本の領土だった!
日本人に向けては、あたかも被災地支援が国民党主導のものであると宣伝したいかのようだ。
被災地支援で見られた台湾人の親日的傾向は、民進党やその支持者の方が強いと一般的には見られていることもあり、「台湾祭り」は、国民党による功績の一人占めを狙ったイベントだったと批判する声が実際に強い。
また九月十七日から十九日にかけ、台湾からの支援に感謝の気持ちを伝えようと、被災地出身の若者ら六人が、日本最西端の与那国島から海の向こうの台湾まで泳いで渡るという「日台黒潮泳断チャレンジ二〇一一」が実施された。これにも駐日代表処は全面的なバックアップを行ったが、ここでも日本人の善意の政治利用が疑われている。
若者たちは出発前、駐日代表処で記者会見を行っているが、そこではこの「チャレンジ二〇一一」も、「中華民国(台湾)一〇〇年記念イベント」と位置づけられていたのだ。
台湾でもこの遠泳の壮挙は大いに注目されたが、これではまるで「中華民国百年」を祝賀するため、つまり国民党支持を表明するため、海を渡るとの印象が持たれてしまうだろう。
■台湾は中華民国領ではない
さて、東京で辛亥革命百年を記念する「台湾祭り」が行われた九月四日、台北では台湾独立派が、サンフランシスコ講和条約調印六十周年を記念して、「主権を顧み平和を愛する」と題する大規模デモ行進を実施し、「棄馬保台」(馬英九の支持を止め、台湾を守れ)を訴えた。
たしかに日本が連合国との間でサ条約に調印してから今年で六十年だが、ではなぜ台湾人がこれを記念するのだろうか?
実はこの条約により、日本は台湾の主権を放棄したのである。そしてこの島の新たな帰属先は決められず、それは台湾住民の自決に委ねるものとされたのだ。とうころが条約発効当時、住民自決など行われようもなかった。なぜならすでに台湾は中華民国亡命政府の独裁支配下に置かれていたからだ。もちろんそれは国際法上、明らかな不法占領といえたが、それを排除することなど、米国といえども不可能だった。
国民党は日本から台湾の返還(割譲)を受けたとの法的根拠をでっち上げ、台湾は中華民国領だと主張して今日に至っている。そして今、国民党政権は、あくまでも「一つの中国」の看板を掲げ、中華民国の台湾支配を正当化し、台湾人勢力を抑えつけようとしているわけだ。しかもその「一つの中国」の看板こそが、中共に中国統一(台湾併呑)の口実を与えてしまっているわけである。
中共の主張は、台湾は日本から返還され中華民国領になったが、その中華民国が滅亡した以上、台湾は中華人民共和国が継承したというものだ。だが日本は台湾をどこにも割譲していない以上、中華民国領でも中華人民共和国領でもないのである(日本政府は中国の怒りを恐れ、この法的事実を公の場では認めようとしない)。
■中共に歯向かえない国民党
そこでデモ主催者はこの日、「馬英九は存在もしない九二年合意、つまり台湾の主権を中国に譲り渡す一つの中国の原則を宣伝しようとしているが、受けいれることはできない」と語った。この「九二年合意」とは、一九九二年の台中協議で、「双方は『一つの中国』を堅持し、『中国』の解釈はそれぞれが行う」というものだという。
そしてそれに従い国民党の「中国は一つで、中国とは中華民国」との解釈は中共に許容されており、これで中共とは宥和できると国民党は宣伝しているわけだが、実はそのような合意など作り話なのだ。だいたい「中華民国」を容認するような合意に、中共が応じるわけがないのである。
「双方は中国が一つであることで合意した」にすぎないとするのが中共の主張だ。それは間違いなく事実だろう。国民党に「一つの中国」を認めさせたからには、あとは「中国とは中華人民共和国」であることを呑ませることに全力を挙げているところである。
そしてそうした中共の攻勢に抗いがたくなっている国民党の高官たちは、中共要人の前では「中華民国」の国号すら口にできなくなっていることを忘れてはならない(「中華民国」と表明できないこと自体、九二年合意が存在していない証ではないか)。
■中共が辛亥革命百年を祝う狙い
辛亥革命百年は中共も祝賀している。十月九日には記念大会が開催され、そこにおいて胡錦濤国家主席は「重要講話」なるものを行い、次のように強調した。
「孫文先生はかつて、統一が中国全国民の希望だとおっしゃった。統一できれば全国人民は幸福となり、できなければ損害を受ける。平和方式で統一を実現するのは台湾同胞を含む全中国人の根本利益に符合する。我々は両岸の関係と平和的発展を主題として掲げ続け、台独への反対姿勢を強化し、中華文化の優秀な伝統を宣揚し、一体感ある民族的アイデンティティを強化し、各種の問題を解決し続け、両岸対立を終結させ、歴史の傷跡を癒し、ともに中華民族の偉大なる復興を実現するため努力しよう」
つまり台湾(国民党)も称える孫文=辛亥革命をキーワードに、統一を呼びかける宣伝攻勢に打って出ているのである。
ここで胡錦濤は「台独への反対姿勢を強化する」と言っているが、言うまでもなく台湾は、つねに中華人民共和国からは独立した存在である。だからここでいう「台独」(台湾独立)とは、中国との統一を明確に拒否する人や行為を指すわけだが、それなら台湾の国民のほとんどが「台独」分子となってしまう。
したがってこれは台湾に対する友好のメッセージであるように見えて、実際には恫喝、警告なのだ。そしてこの警告は有効である。なぜなら台湾の国民は受け入れなくても、国民党政権はこれを無視することはできないからだ。
台湾人勢力に対抗するため、「中華民国」(チャイナ共和国)を強調し、そして「一つの中国」との合意の下で中共と連携し、「聯共制台」に手を染め、中共の威を借りてきた国民党は、あたかも暴力団の手を借りたばかりに、その言いなりとなってしまった庶民のように、もはや中共の傀儡、走狗の様相を呈している。
■辛亥革命支援のように台湾支援を
このように国共両党による「辛亥革命百年」記念のキャンペーンは、中共の台湾併呑および東亜全体への勢力伸張のための宣伝工作の一環だということができる。
十月十日に台北で盛大に開催された「中華民国建国百年」の祝賀式典で馬英九総統は、「国父の理想が自由、民主、豊かさを平等に分かち合う国家にあったことを忘れず、大陸はその方向へ前進するべきだ」と呼びかけ、その前日に「中華民族の偉大な復興」を強調した胡錦濤に反論して見せたが、しかしこれは有権者の前での強がりだろう。彼の国民党政権の中国傾斜に歯止めがかかっているとは誰も思っていない。
なお、馬英九は台湾が孫文の理想どおりに「自由、民主、豊かさを平等に分かち合う国家」になったと強調したが、それは正しくない。台湾が民主主義国家に生まれ変わったのは米国の圧力もあったが、やはり最大の要因は日本統治時代に育まれた遵法精神など近代的国民文化が台湾人の間で受け継がれていたからである。孫文思想を掲げる国民党が台湾にもたらしたのは不自由、反民主、不平等な人治社会文化だけだったではないか。
昨今辛亥革命百年を日本のメディアも取り上げている。「多くの日本人がかかわって支援した辛亥革命は、日本と中国、台湾を結ぶ絆でもある。その歴史的経緯を抜きに、今日の日中、日台関係を考えることはできない」と論評したのが読売新聞だが勉強不足。まるで国民党の宣伝そのものである。
国民党も日本人が革命支援を行った史実を強調し、同党と日本との関係の重要性を懸命に日本にアピールしているところだが、辛亥革命は当時の台湾とは無関係なのである。
日本人が本当に重視するべき「歴史的経緯」といえば、台湾人がかつて日本人と同胞だったことなのである。この元同胞が今、中共の併呑の脅威にさらされ、そして国民党によって城を明け渡されようとしているのだ。
台湾を守るため、声を上げるべきではないのか。「台湾は中国の一部などではない」と。東亜の未来のため、辛亥革命の支援に挺身した先人のごとく、我々もまた反中共、反国民党の台湾擁護の運動を画策、推進するべきである。(終)
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