支那事変記念日に「国共合作」―再び日本を戦禍に引きずり込むか
2010/07/08/Thu
■占領地で平和建設に着手した日本軍
一九三七年に始まった支那事変を中国人は七・七事変と呼んでいる。それは事変の発端となった盧溝橋での最初の銃弾が七月七日に放たれたからだ。
もっとも攻撃を仕掛けてきたのは中国側で、日本が隠忍自重の末に反撃を開始し、交戦状態に入ったのは翌八日だから、「七・八事変」と呼ぶべきだろう。

盧溝橋付近で日本軍の侵攻を食い止める中国軍の英雄的抗戦の図。しかし
日本軍を挑発したのが中国軍。中国人民に被害を与えた支那事変は中国側が
一方的に引き起こした禍だった
中国人はまたこの戦いを「八年抗戦」とも呼んでいるが、この呼称も少し立派過ぎる。
当初は対ソ戦の準備で精一杯で、中国軍との戦争拡大を望まなかった日本。たしかに中国側の挑発に乗り、そして敵の敗走を追う形で戦線を拡大したものの、三八年十月に武漢を攻め落とすや、それで戦争を一段落させている。
そしてその後は占領地で日中提携の新秩序建設(戦後復興や近代化建設)に着手した。占領地は面積、人口において中国本部(関内)の約半分に達し、主要都市もみな含まれ、近代的工場の労働者は九割で、生産額でも九四パーセントに及んでいた。
そうした中国における平和建設を妨害し続けたのが、重慶に逃げた蒋介石の国民党軍であり、毛沢東の共産党軍だった。ではこの両軍はそれほどまじめに「抗戦」を展開していたのかと言えば、決してそうではない。
毛沢東は三七年の演説で、「中日戦争は共産党発展の絶好のチャンス。我々の基本政策は、全力の七分を中共の発展に、二分を国民政府との対抗に、残りの一分を抗日に使用する」とし、実際にその「基本政策」に沿って国民党打倒なる最終目標に向け、拠点拡大、兵力温存、戦闘回避に努めたのだった。
蒋介石も米国の武器、経済援助を仰ぎながら、共産党打倒を期して兵力の温存を図り、米側を怒らせていた。
■「抗日」キーワードに進む国共合作
一方、重慶を脱した汪兆銘は四〇年に南京で政権を樹立し、日本と提携した。その兵力は四三年の段階で六十万人を超えていたと言うが、多くは重慶側から帰順してきた将兵で、主に共産党軍の討伐に当たっていた(蒋介石の命で南京側に寝返った部隊もあった)。
このように、汪兆銘は日本との「和平」による「救国」を求めていたものの、蒋介石や毛沢東に至っては、日本への抗戦以上に自国民同士で死闘を繰り広げていたのである。これが「八年抗戦」なるものの否定できない一大側面と言えよう。
そして国共両党はその後、日本が米国に敗れて中国から撤退すると、ただちに内戦を本格させ、それぞれが自らを英雄とする「抗日戦史」を書き上げ、そのようなものを自国民に宣伝したのだった。
ところが「抗戦勝利六十年」に当たった二〇〇五年、共産党は中国統一のため、台湾の国民党勢力に歩み寄った。そのとき不倶戴天の敵同士である両者最大の公約数が「抗日」である。共産党の胡錦濤総書記は、抗戦の主力は共産党軍だったとの従来の歴史捏造を停止し、国民党軍の戦いの事績を高く評価した。
一方国民党も台湾国内の台湾人勢力の台頭を抑えたいがため、ともに「六十年」を祝って共産党との「民族の絆」を強めるとともに、国内でも台湾人の抗日の歴史を顕彰し、「中華民族意識」を回復させようとした。
もちろんそうした政治キャンペーンが先進的民主主義国の国民である台湾人の心を動かすことなどなかった。しかし国民党はその後、政権奪取に成功し、今では「国共合作」をますます深化させているところだ。
■台湾の抗日英雄を称える「でたらめ史観」
そして今年の「七・七」にも国共は、「抗日」回顧を楽しんだ。
中国四川省の画家五十数名が五年がかりで完成させた「浩気長流」と題する高さ四メートル、横八百メートルもの「抗戦巨巻詩画」が、七月六日から孫文を顕彰する台北の国父記念館で公開が始まったのだ。

作品を作り上げた中心人物である王康氏は「歴史の真相を明らかにし、民族の大義を取り戻したい。中国を復興するには、先ず最も争議のない芸術から。この画が両岸の文芸復興の先鋒になれば」などと言っている。
また「台湾も本来は中国抗日の一環なのだ。一八九五年に日本に割譲されてから、台湾人は抗日を開始し、数十万人が殖民地統治下で死んだ」とも。
このように「歴史の真相を明らかにしたい」と言って歴史捏造をやってしまうのが中国人だ。胡錦濤や馬英九を含む中国人は、日本統治下の五十一年間で、台湾人は六十五万人も殺された宣伝するが、それなどはまったくの作り話だ。
武力で日本人を襲撃し、あるいは抵抗して殺された台湾人の数は二万人余。戦後の二・二八事件で国民党は、わずか一ヶ月間で同規模の無辜の台湾人を殺戮している。台湾人にとっては「抗日」の偽史宣伝より、そちらの史実の方が重要だろう。あるいは将来発生するかも知れない統一後の粛清、虐殺なども。
作品には一千人に近い歴史人物が描かれているが、そこには台湾の「抗日英雄」も複数含まれている。
ただ中国人の「台湾抗日英雄史観」はいい加減なもので、林献堂のように台湾自治運動の指導はしたが、戦後は中国人支配を嫌って日本へ逃れたと言う「英雄」も含まれている。同じく運動のリーダーだった蒋渭水は、戦後も存命なら国民党に粛清されたものと見られる。なぜなら彼の同志たちは、日本に抵抗したくらいだから国民党にも抵抗するだろうと警戒され、殺されている。
■台湾の次に日本を攻める国共両党の勢い
また蒋介石も毛沢東もともに描かれているのも大きな話題だ。これについて王康氏は「若いときは国民党は消極抗戦、積極反共と教わったが、実は国軍を率いて対日抗戦を堅持したと言うのが真相だ」と強調する。

毛沢東と蒋介石が仲良く描かれているのも話題。進む国共合作の象徴と
なるからだ
「さもなければ清朝以降は日本に統治されていただろう。中華民国の歴史は変わり、今日の共産党も存在していない」とも持ち上げるのだが、ここでも歴史の「真相」を言えば、蒋介石はどちらかと言えば親日的で、日本の力を借りてでも共産党を殲滅したいと考えていた。
公開初日には盧溝橋で陣取っていた連隊長、吉星文の子息、初めて日本軍気を撃墜した航空隊長、高志航の子息、そして霧社事件の首謀者、モーナルダオ(台湾原住民も中華民族か…)の曾孫なども会場に現れた。
昨年、馬英九政権の行政院長をやっていた劉兆玄も姿を見せ、「抗日戦争は中華民族にとって最も偉大で最も惨烈な反侵略戦争。このような文化交流は両岸の相互理解に役立つ」とスピーチしている。しかし、それはあくまで、台湾人としてでなく、在台中国人としての感慨だろう。台湾人に何としてでも反日意識と言う名の中華民族意識を植え付けたいところではないのか。
台湾人が、こうした中国人の噴飯物の抗日史観に批判を加えられないのは、それは国民党教育の洗脳を受けたというだけでなく、日本人がそうしたものに反論せず、「反省と謝罪」を繰り返しているためでもあろう。
それはともかく、国共両党が「抗戦の思い出」で歩み寄り、中国統一(台湾併呑)を行うとならば、日本は台湾とは生命共同体だから、それはまた日本の存亡に対する危機ともなる。
かつて国共合作による支那事変に引きずり込まれた日本だが、いままた両党の合作により、日本に軍事的な災禍が降りかかる可能性が高まっていることは知っておいた方がいい。
あの中国人たちは少なくとも、日本への憎しみで民族意識を固めていることだけは確かだ。
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「7・9 NHK一万人・集団訴訟 第三回口頭弁論」のお知らせ
来たる7月9日(金)、東京地方裁判所にて「NHK一万人・集団訴訟」第三回口頭弁論が行われます。
平日の午前中ではありますが、お近くにお住まいの方、東京に立ち寄られている方は、是非、傍聴にお越しいただきますようお願い申し上げます。
日時:平成22年7月9日(金)10時00分
場所:東京地方裁判所 103法廷
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一九三七年に始まった支那事変を中国人は七・七事変と呼んでいる。それは事変の発端となった盧溝橋での最初の銃弾が七月七日に放たれたからだ。
もっとも攻撃を仕掛けてきたのは中国側で、日本が隠忍自重の末に反撃を開始し、交戦状態に入ったのは翌八日だから、「七・八事変」と呼ぶべきだろう。

盧溝橋付近で日本軍の侵攻を食い止める中国軍の英雄的抗戦の図。しかし
日本軍を挑発したのが中国軍。中国人民に被害を与えた支那事変は中国側が
一方的に引き起こした禍だった
中国人はまたこの戦いを「八年抗戦」とも呼んでいるが、この呼称も少し立派過ぎる。
当初は対ソ戦の準備で精一杯で、中国軍との戦争拡大を望まなかった日本。たしかに中国側の挑発に乗り、そして敵の敗走を追う形で戦線を拡大したものの、三八年十月に武漢を攻め落とすや、それで戦争を一段落させている。
そしてその後は占領地で日中提携の新秩序建設(戦後復興や近代化建設)に着手した。占領地は面積、人口において中国本部(関内)の約半分に達し、主要都市もみな含まれ、近代的工場の労働者は九割で、生産額でも九四パーセントに及んでいた。
そうした中国における平和建設を妨害し続けたのが、重慶に逃げた蒋介石の国民党軍であり、毛沢東の共産党軍だった。ではこの両軍はそれほどまじめに「抗戦」を展開していたのかと言えば、決してそうではない。
毛沢東は三七年の演説で、「中日戦争は共産党発展の絶好のチャンス。我々の基本政策は、全力の七分を中共の発展に、二分を国民政府との対抗に、残りの一分を抗日に使用する」とし、実際にその「基本政策」に沿って国民党打倒なる最終目標に向け、拠点拡大、兵力温存、戦闘回避に努めたのだった。
蒋介石も米国の武器、経済援助を仰ぎながら、共産党打倒を期して兵力の温存を図り、米側を怒らせていた。
■「抗日」キーワードに進む国共合作
一方、重慶を脱した汪兆銘は四〇年に南京で政権を樹立し、日本と提携した。その兵力は四三年の段階で六十万人を超えていたと言うが、多くは重慶側から帰順してきた将兵で、主に共産党軍の討伐に当たっていた(蒋介石の命で南京側に寝返った部隊もあった)。
このように、汪兆銘は日本との「和平」による「救国」を求めていたものの、蒋介石や毛沢東に至っては、日本への抗戦以上に自国民同士で死闘を繰り広げていたのである。これが「八年抗戦」なるものの否定できない一大側面と言えよう。
そして国共両党はその後、日本が米国に敗れて中国から撤退すると、ただちに内戦を本格させ、それぞれが自らを英雄とする「抗日戦史」を書き上げ、そのようなものを自国民に宣伝したのだった。
ところが「抗戦勝利六十年」に当たった二〇〇五年、共産党は中国統一のため、台湾の国民党勢力に歩み寄った。そのとき不倶戴天の敵同士である両者最大の公約数が「抗日」である。共産党の胡錦濤総書記は、抗戦の主力は共産党軍だったとの従来の歴史捏造を停止し、国民党軍の戦いの事績を高く評価した。
一方国民党も台湾国内の台湾人勢力の台頭を抑えたいがため、ともに「六十年」を祝って共産党との「民族の絆」を強めるとともに、国内でも台湾人の抗日の歴史を顕彰し、「中華民族意識」を回復させようとした。
もちろんそうした政治キャンペーンが先進的民主主義国の国民である台湾人の心を動かすことなどなかった。しかし国民党はその後、政権奪取に成功し、今では「国共合作」をますます深化させているところだ。
■台湾の抗日英雄を称える「でたらめ史観」
そして今年の「七・七」にも国共は、「抗日」回顧を楽しんだ。
中国四川省の画家五十数名が五年がかりで完成させた「浩気長流」と題する高さ四メートル、横八百メートルもの「抗戦巨巻詩画」が、七月六日から孫文を顕彰する台北の国父記念館で公開が始まったのだ。


作品を作り上げた中心人物である王康氏は「歴史の真相を明らかにし、民族の大義を取り戻したい。中国を復興するには、先ず最も争議のない芸術から。この画が両岸の文芸復興の先鋒になれば」などと言っている。
また「台湾も本来は中国抗日の一環なのだ。一八九五年に日本に割譲されてから、台湾人は抗日を開始し、数十万人が殖民地統治下で死んだ」とも。
このように「歴史の真相を明らかにしたい」と言って歴史捏造をやってしまうのが中国人だ。胡錦濤や馬英九を含む中国人は、日本統治下の五十一年間で、台湾人は六十五万人も殺された宣伝するが、それなどはまったくの作り話だ。
武力で日本人を襲撃し、あるいは抵抗して殺された台湾人の数は二万人余。戦後の二・二八事件で国民党は、わずか一ヶ月間で同規模の無辜の台湾人を殺戮している。台湾人にとっては「抗日」の偽史宣伝より、そちらの史実の方が重要だろう。あるいは将来発生するかも知れない統一後の粛清、虐殺なども。
作品には一千人に近い歴史人物が描かれているが、そこには台湾の「抗日英雄」も複数含まれている。
ただ中国人の「台湾抗日英雄史観」はいい加減なもので、林献堂のように台湾自治運動の指導はしたが、戦後は中国人支配を嫌って日本へ逃れたと言う「英雄」も含まれている。同じく運動のリーダーだった蒋渭水は、戦後も存命なら国民党に粛清されたものと見られる。なぜなら彼の同志たちは、日本に抵抗したくらいだから国民党にも抵抗するだろうと警戒され、殺されている。
■台湾の次に日本を攻める国共両党の勢い
また蒋介石も毛沢東もともに描かれているのも大きな話題だ。これについて王康氏は「若いときは国民党は消極抗戦、積極反共と教わったが、実は国軍を率いて対日抗戦を堅持したと言うのが真相だ」と強調する。

毛沢東と蒋介石が仲良く描かれているのも話題。進む国共合作の象徴と
なるからだ
「さもなければ清朝以降は日本に統治されていただろう。中華民国の歴史は変わり、今日の共産党も存在していない」とも持ち上げるのだが、ここでも歴史の「真相」を言えば、蒋介石はどちらかと言えば親日的で、日本の力を借りてでも共産党を殲滅したいと考えていた。
公開初日には盧溝橋で陣取っていた連隊長、吉星文の子息、初めて日本軍気を撃墜した航空隊長、高志航の子息、そして霧社事件の首謀者、モーナルダオ(台湾原住民も中華民族か…)の曾孫なども会場に現れた。
昨年、馬英九政権の行政院長をやっていた劉兆玄も姿を見せ、「抗日戦争は中華民族にとって最も偉大で最も惨烈な反侵略戦争。このような文化交流は両岸の相互理解に役立つ」とスピーチしている。しかし、それはあくまで、台湾人としてでなく、在台中国人としての感慨だろう。台湾人に何としてでも反日意識と言う名の中華民族意識を植え付けたいところではないのか。
台湾人が、こうした中国人の噴飯物の抗日史観に批判を加えられないのは、それは国民党教育の洗脳を受けたというだけでなく、日本人がそうしたものに反論せず、「反省と謝罪」を繰り返しているためでもあろう。
それはともかく、国共両党が「抗戦の思い出」で歩み寄り、中国統一(台湾併呑)を行うとならば、日本は台湾とは生命共同体だから、それはまた日本の存亡に対する危機ともなる。
かつて国共合作による支那事変に引きずり込まれた日本だが、いままた両党の合作により、日本に軍事的な災禍が降りかかる可能性が高まっていることは知っておいた方がいい。
あの中国人たちは少なくとも、日本への憎しみで民族意識を固めていることだけは確かだ。
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「7・9 NHK一万人・集団訴訟 第三回口頭弁論」のお知らせ
来たる7月9日(金)、東京地方裁判所にて「NHK一万人・集団訴訟」第三回口頭弁論が行われます。
平日の午前中ではありますが、お近くにお住まいの方、東京に立ち寄られている方は、是非、傍聴にお越しいただきますようお願い申し上げます。
日時:平成22年7月9日(金)10時00分
場所:東京地方裁判所 103法廷
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